2026.03.11

今日はなんだか何もかもやる気がない日らしい。体調はいいのだが、なんかしようと思っても踏ん切りがつかない。とぼとぼとカフェに来て、イヤホンも付けずにのんびりとエッセイを書いている。

今日からポッドキャスト『おっとっと、』の活動として、交換絵日記が始まった。週に一回インスタでお互いの絵を投稿する、次の週は相手の絵を見て感じたことを絵にする、というもの。さっき、初投稿してきた。

僕は今読んでいる原田マハさんの『生きるぼくら』に出てきた、お米一粒の中には7人の神様がいるという印象的な台詞をもとに絵を描いてみた。我ながら可愛い仕上がりになって、すごく満足している。一粒の中に7人かあ、と思いながら、どんな神様がいるんだろう、と想像しながら描いた。全部違うのかな、そしたら神様は人間よりもはるかに人数が多いな、と思った。世界は広いなと思った。

最近、夢の密度が濃すぎて、寝て起きたら3日ぐらい経過しているように感じる。昨日が一週間前ぐらいの時間の感覚。夢の内容は全く覚えていないのに、ただ「濃かった」ということだけ覚えている。そして、しっかりと心が動かされていて、毎朝その日の気分の確認から始まる。なんだか、自分が操作できない世界っぽくて、タバコの煙みたいだなと思った。

夕方にカフェに来ている。夕方にカフェに来る時は、あまり体調が良くない時だ。外の空気を吸いたいと思い、家を飛び出す。今日はパン屋でクロックムッシュも頼んで、お腹を満たすことにした。最近はお菓子とかも食べてしまって、ちょっと体重が増えてきた。気にする必要もないのに、気にしてしまう。

午後のパン屋は、朝とまた雰囲気が違う。皆が今日の終わりに向かっているというか、落ち着いている。僕は何をしていいか分からず、とりあえずパソコンを開いて作業を始めた。何をするわけでもないのに。

交わらない人とは関わりたくなくなってきた。それは気が合うとか、そういうこと。僕には僕の人生があるし、心の壁がある。何かがあったわけではないけれど、東京という街はなんだか人生を見せびらかされている気がして、空気が澱んでいる時がある。

星野源さんのオールナイトニッポン in 日本武道館のアーカイブを聴いた。本当に良かったし、「ラジオリスナー」っていいですよね、と星野源さんが言ってくれたことに、少しだけ心が救われた。受け取る側でいいんだなと思って、なんだか安心した。

今までは目立とうと頑張っていたけれど、なんだかそれもすごく無駄なことなんだなと思った。自分の好きなことをただする、そして生活を大事にする、それが僕には合っているなと思った。なんだか今日はそういう日。

小説を書くということはどういうことなのだろうと、最近は考えていた。今までは有名になりたいとか、そういうことが動機だったけれど、なんだかそれはシケているなと思った。本当の表現の動機じゃない気がする。

じゃあなんで小説を書くのかと言ったら、ただ語りたい物語があるから、なのだろうなと思った。主人公が頭の中に生まれて、その主人公の人生を追いかけている感覚。どちらかというと「見ていたい」に近いのかもしれない。観測していたい、描写していたい、切り取りたい、そんな感覚が近い。

だから、そういう理由で僕は書こうと思った。有名無名に関わらず。

賞への応募も、少し憚られる。応募要項にある「応募作品の出版権は全て弊社に帰属します」という文言がすごく気になる。作品を開け渡している感じがして、なんだか嫌だなと思った。まあ、それでも利用するつもりできっと応募するのだろうけれど。作家が出版社のペットみたいに扱われている構図。多分違うと思うけれど、たくさんの作家さんの声を聞いていて、そういう側面が完全にないわけではないのだなと思った。

普通に働く、とはいったいなんなのだろうか。町田そのこさんの『52ヘルツのクジラたち』の中に出てくる、無職で都内から田舎に引っ越して、周りから「働かないんじゃ、人生を無駄にしている」と言われるシーンが、強烈に今日の頭の中に残っている。

自分も働いていない、それでも誇りを持ちながら生きていると、言い返したくなるが、そもそもそんなことを言ってくる人と同じ盤面にいること自体が、なんだか不快だなと思って、あまり考えないようにした。

お金がなかったら、本当に世界はどうなるのだろう。ぼんやりと考えながら、自分には関係のない世界だなと、踵を返した。

昨日threadsに投稿した文章に、ちらほらと返信が届く。

そんなこと言われなくてもわかってるわ、と反発する気持ちを感じて、やっぱり自分は社会と適合できないのだなと思う。人に何か言われることに極端にイライラしてしまう。ああ、いわゆる社会とは断絶しようと、心に誓った。そして、エッセイをソーシャルメディアに上げることはやめようと思った。

はあ、書いたらスッキリした。

夜になった。今日は3月11日。あれからもう15年も経ったのかと、J-WAVEのラジオをなんとなく聞いていて、驚いた。

大切な人を、大切なものを失った気持ちは、失った人にしかわからない。だから、その人たちへの同情とかはわからない。

僕は命が終わることをかなり前向きに捉えているからか、あまり災害への意識がないのだが、大切な存在が多くなってきた今、「失いたくない」というはっきりとした気持ちがある。普段通りに生きようとすればするほど、終わること、失うことへの恐怖がカサ増しされる。街が壊れる、大切な人がいなくなる。それは、命が終わることとは関係なく、悲しいことだなと思う。もう2度と会えないなんて、あんまりだなと思う。

恵まれていることが、なんだかずるいんじゃないかと思っていた時期もあった。裕福な家庭に生まれて、何不自由ない生活をしている自分が、申し訳ない時もあった。

でも、それはしなくていいことだなと、最近は思えるようになった。自分が幸せなことと、誰かが苦しい思いをしていることは、全くの別物。