MENU

2026.03.06

今日は祝日なのかってぐらい、パン屋が混んでいた。入れなかった。平日の11時ぐらいはママさん達でごった返している。そろそろパン屋にも飽きてきたし、また前に行っていたカフェに行こうかなと思って、100メートルぐらい離れた可愛いカフェに来た。

マンションから出たところの芝桜が咲いていた。少し前から咲いていたのだが、今日が満開なのではないかぐらい、咲いていた。

裏口から出ると見える桜なので、僕はいつも外に出る時は裏口から出る。

昨日タバコを吸ったせいか、頭がぼんやりして落ち着いている。意外と体に合っているのかもしれないと思う。今まではせっせと生きていた感じがあるが、今日はのんびりしている気がする。

でも今日の朝は、吸いたい気分ではなかった。中毒性は意外とないのかもしれないと思った。コーヒーと同じ気持ちになる。

午後になった。

今日はわんこの散歩を早めにいった。とはいっても13時ぐらい。なんだか今日は街の空気がぼんやりしていた。カフェのところは混んでいたけれど、一本ずれた僕の住んでいるところは、今日は静かだった。

とは言っても、振り返ってみればいつも静かなのかもしれない。心が落ち着いている時間に散歩に行ったからなのかもしれない。

帰ってきて、一本のタバコを吸う。頭が少し溶けるように、ぼんやりしてくる。タバコの後のコーヒーは、乙な感じがして好き。でもまだ、うまく灰を落とせなくて、人前で吸うには恥ずかしさがある。

原田マハさんの「生きるぼくら」を読み始めた。原田マハさんの中では古い本で、メルカリでハードカバーを見つけて買った。

原田マハさんの本が4冊目になったところで、なんとなく原田マハさんの書き方というか、物語の作り方が見えてきた。少しだけ嬉しくなった。堕落した生活から、外に放り出される主人公。まるで自分も、家から出されたみたいになる。

外に出ると物語が始まる。何かが起こるし、書きたくなる。家の中では驚くほど何も起きなくて、書く気もあまり湧いてこない。当たり前のことなのかもしれないけれど、外に出たくない自分にとっては苦しい現実だ。

そういえばさっき、ナチュラルローソンに夜ご飯を買いに少しだけ出かけた。店内の小さな席スペースで、高校生がだらんとした姿勢で3人で駄弁っていた。椅子の下に鍵を落としていたことに気づいたが、話しかけなかった。あまりにもその身内だけの空間が築かれすぎていて、入り込む隙もなかった。埼玉の地元のスーパーのイートインスペースを思い出して、懐かしくなった。

夜になった。

今日2本目のタバコを吸う。だんだんと吸うのが上手くなってきて、今日はしっかりと深呼吸することができた。ベランダから見えるマンションの灯りがオレンジで、空が黒で、とても気持ちが良かった。空気がまだ澄んでいるこの季節。寒くもないし暑くもない。永遠に続いてほしいこの感じ。

ポッドキャストを聴いていると、こってりしたものとあっさりしたものがある。こってりしたものを聴きたい時もあれば、あっさりしたものを流したい時もある。心の調子によって色んな番組があることはありがたいことだと思う。タバコを吸っているときは、なるべくあっさりしたものを聴きたい。むしろ無音でも良いぐらい。

マンションのそれぞれの部屋に人生が詰まっていることを感じることができるから、ベランダから外を眺めることは好き。少し身を乗り出して下の道を眺めることも好き。

部屋の明かりを消して、ポッドキャストの収録。今日はもちごめちゃんとやっている「おっとっと、」の収録。毎回お互いが読んでいる本や、見聞きしたカルチャーの話ができて、密かに楽しみにしているポッドキャストだ。お互い書いているからこそ、その視点で小説やエッセイを読んでいるので、毎回発見が多い。

今日は小説の好みについて話した。最近発見した、平和な本が好きだということ、もちごめは、高瀬隼子さんのようなちょっと人間の根源的な泥々したところを描いているものが好きだということなど、いろいろ話した。もちごめちゃんは、今週5冊読んだらしい。びっくりした。ちなみに僕は読了した本は今週一冊もない。笑というか、本を読み始めてからまだ読了した本はないかもしれない。ちょこちょこ、色々な本を読んでいる。つまみ食いが楽しい。

エッセイよりも小説の方が書くことが簡単だ、という話題を僕の方から出した。それはエッセイはワンシーンに対して、起こったことや感じたことなどの事実を書くことが多いからこそ、情景描写とかの付随して書けることが少なく、すぐにその場面が書き終わってしまうということ。これはどっちも書き始めて分かったことだ。

まあその分、エッセイは人生が進めば勝手にシーンが生まれるから、その点では困らないのだけれど、ノっている時は小説の方が筆が捗る。

深夜になった。

徐に小説が読みたくなって、手に取る。今日届いた原田ひ香さんの「喫茶おじさん」。平和な話かと思いきや、いや、平和な話なのだけど、ところどころに主人公のおじさんの家族事情が挟まってきて、現実味を帯びた人の心が描かれている。小説のことはあまり語りたくないと思ったが、なんだか安心する本だった。足に挟まっていたわんこのことを、気づかないまま起き上がってしまい、わんこがベッドから転げ落ちた。怪我はなかった。わんこは怒っていた。何回もごめんねと言ったが、わんこはベッドの下に行ってしまった。明日も謝ろうと思った。痛そうにしていなくてよかった。

その次に、途中で止まっていた「汝、星のごとく」を読んだ。急展開で話が進んで、ちょっとびっくり。最初の方は情景の美しさで進んでいく本なのかと思ったら、読んでいくうちにだんだんと現代社会に沿うように色付いてきて、人ごとではないような気持ちが心の中に浮かんできた。

今日のポッドキャストで、カツセマサヒコさんの話の中で何気なく話題に出てきたシューベルトを聴いた。フランスの人なのか。かなり前の人だよなと思いながら、その音源が全てSpotifyに上がっているのも、なんだか不思議に思う。不快には思わない。

音楽を流すと、部屋の中が一気に中性になった。テルマエロマエで出てきそうな音楽だなと思った。すぐに違う音楽に変えた。

とあるポッドキャストで、「有名になること」の弊害や悲惨さが語られていた。僕がかなり前から知っている映画監督が語っていたので、正直他人事で流すことはできなかった。

その人が言うには、と言うか名前を挙げると奥山由之さんなのだが、自分が有名になることで、本当のことは言えなくなるし、力を入れた作品でも相応の社会からの跳ね返りがなかったりする、と言うことを語っていた。ほえー、と思った。つまりは奥山さんが力量の次元を越えすぎていて、見る側がついていけていないってことか、と思った。

でも、聴いていくと話は違うらしい。

今の時代は、そう言う力を入れたものではなくて、もっと力の抜けた、いわゆる「流せる」ものを求めているらしい。確かに自分も蒸籠までは食べたくなくても、ハッピーターンは食べたいと言う時あるなと思った。絶対に違うと思ったが、なんだか書いて通ずるものはあるなと思った。とにかく、力の抜けたものは見る側も力を抜いて見ることができるし、力の入ったものはその分こってりしてしまうということらしい。難しいのは、それはテキトーとは違うということ。圧倒的な量と質をやった先に、力を抜いていいものができる、ということらしい。これは普通の人じゃ真似できないだろと思った。まあ、多分真似できたら困るのだろうけれど。

「成瀬は天下を取りに行く」のシリーズも、二巻の方が面白かったのは、そういうことなのかなと思った。僕のエッセイも回を重ねるごとにどんどん力が抜けていっている感覚がある。なるほど、話の規模は違えど、なんとなく分かる気がする、と膝を打った。

でも、この話を聞いてじゃあ何をしようとか、そういうことは思い浮かばなかった。とりあえず、今度はキットカットを食べた。きっとこういうことだろうと思いながら。