2026.02.11

昨日の夜中に、テレビをしまってSNSのアカウントも完全にプライベートの人だけにした。遮断されているところが好きとかそういうわけではないが、「広げるためじゃない何か」を見つけたいと思う。僕はこの三年間ぐらい、広げることばかりを考えていた。でも、それは僕の心にはあまりしっくりこなかった。これも、ずっとわかっていたこと。

テレビがない生活は、思ったよりもシンプルでスッキリしているが、時折寂しさが込み上げてくる。これが、僕が変えていきたい何かな気がするから、戦わなければならない。

ピアノの曲を聴いていると、時々僕が知っている中では長い曲がある。今聴いている、いろのみの「芽吹」は14分だ。その曲の終わりに近づくと、言葉にできない高揚感があって、なんだか不思議だった。

やっぱり小説かな、と思って、また小説を書き始めた。何の気なしに、何も達成しようとなんかしないで、言葉の綾に自分の心を絡めて、楽しむだけ。ただそれだけの、練習。

カフェに来て5分ぐらいで、コーヒーをこぼした。それはそれは、大層にこぼした。中前結花さんの「好きよとうもろこし」は、僕がこぼしたコーヒーで、まえがきが濡れた。

こぼした瞬間、こういうことに慣れすぎていて、あ~と声が漏れて、心の中で少し笑いが起きたことにはびっくりした。コーヒーで温かく濡れたズボンから、まだ香ばしい香りがする。

僕のことはいいのだが、隣の女性のことが、ちょっと心配で、不運だなと思う。僕がこぼしたコーヒーで、ジャンパーが濡れてしまい、少し不満そうに、何も言わずに隣で友達と話している。

僕もわざとじゃないから、きっと何も言わないのだろうと思い、その優しさに感動しつつも、今日はそういう日だから気をつけよう、と心の中でエールを送った。(少しは悪びれろ)

こういう時は大体、こぼしたらそのまま店を出るのだが、ここで店を出なかったらどんな感情になるのだろうと興味が湧いて、店を出なかった。大人になったからなのか、恥ずかしいという感情はなかった。店を出なかった感想は、「もうほぼ忘れているぐらいどうでも良かったな。」だ。

こぼしたコーヒーを拭いている間、これはいいエッセイのネタができたと思っていたが、書き始めてみるとあまり面白くなくて、ただお店と隣の人に申し訳ないという気持ちばかりが募る。ああ、久しぶりにこういうやらかしをしたな。

今日は雨だからなのか、心も体も動きにくい。

母からもらったチョコは、個包装になっていて、食べやすい。多分食べ方が違うと思うが、糖分補給のために、僕は個包装になっている袋を破いてそのまま、ガーっと口に中のチョコを放り込んだ。一個ずつ食べればもっと美味しいのに、なんてことを思いながら、二袋目、いった。

なんでこんなにも糖分が足りていないのかというと、いろいろあるのだが、カフェから帰ってきてから今まで、ちょっと集中することがあったからだ。

僕は前から、noteでエッセイを書いていたのだが、アーカイブを見にくい、アプリを入れていないと読めないというところ、あとはいいね数がなんかなあ、と思って、あまり媒体として好きではなかった。そんなことをふと考えた時に、そういえば昔ワードプレスで個人サイトを作って、箱だけ残っていたな、と思い出し、ブックマークから引っ張り出して、いじくり回していた。

そしたら、あっという間に今までのエッセイがそこに掲載された、ブログサイトが完成した。こういう時の集中力は、マジですごいよなと自分で思う。80日分のエッセイを、30分ぐらいで全部サイトにコピペした。

もしかしたらお気づきの方もいるかもしれないが、このエッセイは本ではなくても、そこのブログで全部読める。本ですらすらと持ち歩いて読みたい人に向けて、このエッセイを出版している。まあこんなこと、自己出版でしかできないと思う。わはは。

そういえば今日の体調の悪さは、運の悪さもあるかもしれないが、昨日から菜食だったからなのではないかと、さっきスーパーに行って思った。コーヒーをひっくり返した腹いせに(反省しろ)、スーパーでメンチカツを二個買った。体が欲していたのだろう。

それを食べたら、メキメキとやる気が起きてきて、いろいろできた、ということだ。自分は農耕民族がきっと先祖だから、野菜だけでこれから生きていける、なんてコスパのいい人種なんだ、なんて思っていたのは幻想だった。1日ぶりに食べる、肉とか餃子は、最高だった。