変な時間に起きてしまった。時刻は三時半を指している。僕が起きるとワンコも起きる。寝る時間とかを決めている生物なんて、もしかしたら人間だけなのかな、なんてことを思う。ましてや何時間寝ないと健康じゃないとか、そういうことを言っているなんて、愚かだなあと、深夜に思う。
一人暮らしになってから、というか会社員を辞めてからかな、僕も寝る時間を気にしなくなった。眠い時は昼間に寝ることもある。そうやって生活していると、自然とあまり人に会わなくなった。特別なことがない限り、自分の生活を優先してしまう。してしまうと思っているあたり、なんとなく人と会っていることが正解だと思っているのだろうな。
言葉なんてものはすごく脆いなと思いつつ、人のことを動かす力もあるから不思議だなとも思う。昨日読んだ本の言葉なんて、一つとして覚えていないのに、その時は心が動かされたとか面白いとか、ひどく感銘を受けている。
ソーシャルメディアを見ることが減っても、今この時も誰かが生きているという感覚は消えないのが不思議。この時間に起きても、世界では半分以上が起きていると考えたら、なんか罪悪感が消える。罪を感じる必要なんてないのに、なんとなくこの時間に起きていると悪い気がしてしまうのは、根っからの真面目な性格からなのだろう。
寒いと人は自信がなくなってしまう気がする。縮こまるというか、堂々と歩いている人が少ない気がする。そういう季節だから、心の中で思っていることが沢山あるのかな、なんてことを考えながら、僕も少し縮んで歩いている。そして、ちょっと小走りの人が多い気がする。
昼の十一時になった。カフェの中は暑い。今日はやけに混んでいて、人口密度が高い。慣れない感じがちょっと痒い。
目の前に、多分初めてきたであろう女の子が座っている。なんだかキョロキョロしていて可愛い。このカフェを目掛けて麻布十番まで来たのかな。それで、ちょっと駅から離れているこのカフェまで、どんなことを考えて歩いてきたのだろう。外が見える席から、ずっと遠くを見ている気がする。なんだか少し惹かれてつい見てしまう。
人のことを見ると、そんなことばかり考えてしまう。自分一人の人生がこんなにも濃いのに、それがこのカフェの中だけでも何倍もあると考えたら、世界って広いなと思う。何を考えて、何を感じて、どんなことを経験してきたのか。いくら願っても味わえないことだと思うと、自分の人生をもっと感じないといけない気がする。でもちょっとダンボールとかを捨てる量が多くて下のゴミ捨て場まで持って行くのがめんどくさいとすぐにイライラしてしまう心が狭い僕。人間しているなあ、と思う。
コーヒーメーカーが届いた。これはベストバイだ。全自動で豆を入れたら作られるものは嫌だなと思っていて、かと言ってお湯を毎回沸かすのはそれはそれでめんどくさいなと思っていた。そこにたまたま見つけた、半全自動のコーヒーメーカー。お湯を沸かすのとドリップをしてくれる。豆を挽いたりするのは自分で、ハンドドリップにも切り替えられる優れもの。早速いつも言っているカフェでわんこの散歩のついでに豆を買ってきて、淹れてみたら、本当に美味しかった。
ちょっと前にハンドドリップとマキネッタを買ったことがあったのだが、どちらもちょっとめんどくさくてコーヒーを淹れなくなってしまった。でもこれなら続きそうだと安心した。たまたま訪れたカフェのコーヒーが美味しくて、家で飲みたい時がたまにあるから、そういう時は豆を買いたいなと思う。
なんだか、大人になった気がする。落ち着いてきたというか、ちょっと生活や心に余裕ができた。大学生の頃に住んでいた一人暮らしの部屋の写真がオンラインストレージのおすすめでなぜか出てきたのだが、今よりも散らかっているし、ちょっと子供っぽい。そういえば、母が買ってくるものはいつも可愛らしいものばかり。布団カバーも、車の絵が描いてあったりする。いや何歳だと思っとんねん、と思いつつもちゃんと使う。そろそろ大人になったんだということを分かってもらえているかな。
ああ、結婚して子供が欲しいなあと最近思う。わんこと生活を始めてから、家の自分以外の命がいることがどれだけ素敵なことかを感じるようになった。ここに奥さんと子供がいたら、何倍もの幸せがきっと生まれるのだろうなと思うと、なんだか心がそっと軽くなる。あまり今まで恋愛をしていないから、ちょっと自信はないけれど、結構家族と生活するのは向いている性格だと思う。
恋愛、というものに対しても、最近はちょっと安らかに考えている節がある。人と人が一緒に生活するって、よっぽどの運命じゃないと成り立たないことだし、人生でそう何回もあるわけではないから、コントロールなんてできないなと思う。自分からガツガツ行くとか、そういうことはあまり好きではなくて、夜とかにそっとその人を思い出して、天井を見て眠れないとか、そういう見えないところでその人を想うことが好き。なんだ、エモいな。
今日みたいに機嫌がいい日も、寝たら変わってしまうのも、なんだかマジで生きてるって感じ。毎日違う空気の音。冷たい風が胸に入ってくる感覚。すれ違う人。
夕方になった。わんこを胸の辺りに寝かせながら、スマホでこの文章を書いている。16時ぐらいなのだけど、このぐらいの時間の空が一番好きだなあ。そういえば、一個前のエッセイのタイトルが「僕は海よりも空が好き。」だった。今回のエッセイのタイトルは、まだ決まっていない。今のファイルの名前は「エッセイ#2」。きっと本を手に取ってくださった方は、まだ決まっていないエッセイのタイトルをもちろん知っている。なんだかそう考えると、本って不思議だなあ。
夜になった。なんとなく書いているだけなのに、付き合っていただいてありがとう。今日はプルコギを作ってみた。豚肉と間違えて、牛肉をライフで注文してしまい、せっかくならと思って作った。プルコギは母親がよく作ってくれたメニューで、味が濃くてすごく好きだった。それを自分が作るなんて、なんだかちょっとできる男じゃんと思った。カブの葉っぱも柔らかくて美味しかった。今はカフェにいる。20時ぐらい。ここは21時までやってくれているからありがたい。
プルコギ美味しかったな。久しぶりに牛肉を食べた気がして、ちょっと体が喜んでいる気がする。焼肉行きたいなあ。近くにできたんですよ、なんかでかい牛の銅像が店の前に立っていて、牛の腹部あたりに「1129」と刻印されていて、オープン日がその日なのかと思ったら違うらしい。普通にいい肉の日だから、なのかな。フォントが簡素なところもちょっと不慣れな感じがして、可愛い。今度行ってみたいな。
建物が立つってマジですごいことだよなと思う。机の天板と脚をつなげるネジを一個回すだけでもヒイヒイ行っている自分からしたら、なんかもう世界が違う。大工さんたち、マジで尊敬です。そんなことをニューマン高輪を歩いていて思った。
夜中になった。時刻は日付を回るぐらい。コーヒーをたくさん飲んだせいか、うまく寝付けない。そして、またここに来た。
エッセイを書くということは、逃げる感覚と少し似ている気がする。逃げると言っても、安心するオアシス、避暑地のような場所だ。音楽をかけてそっとキーボードに手を添える。そうすると、誰かに話したいことが思い浮かんでくる。
確かめるように生きている気がする。本当にこれでいいのだろうかと、答え合わせをしているように。コーヒーのせいで、頭がぼんやりする。こういう日も、記憶に残る一日になるのかな。それとも、なんとなくで終わってしまうのかな。もう昨日の夜どんなふうに過ごしていたかを忘れているから、きっと明日になったら忘れてしまうのだろうな。糖分が足りない気がして、シズカ洋菓子店のクッキー缶から一枚食べる。バターの味がじんわりと広がって、少し頭が冴える。
匂いに釣られてわんこが起きてきた。この時間になると起きてきて、夜食をねだるのが日課である。ちょっとだけ作っておいたご飯をあげて、歯磨きタイム。今日は寝ないぞと意気込んでみるも、いつも二時間ぐらいで眠くなってしまうのがオチだ。明日もなにもないのに、起きていていいのに、結局は眠くなってしまう。
なんとなくこの永遠に続くのではないかと思う夜の時間が、好き。明日のことなんか考えないで、深夜のテーマパークでメリーゴーランドに乗っている気分。どこまでも飛んでいけそうな、ピーターパンのよう。
明日は、一輪挿しの花を買いに行こうかな。