深夜の書き出しをどっちの日にするかは、悩ましいところですね。まあ気分で変えてみようと思う。
この時間に淹れるアイスコーヒーは格別だなと思う。湯量を調整して淹れると美味しくできることを発見した。買ったコーヒーメーカーで最初に作ったアイスコーヒーはちょっと薄かった。いい思い出。少し慣れると、何事もできないことを経験できなくなってしまうから、不器用なことはいいことだと思っている。
料理もレシピを見ないようにしている。めんどくさいと言うのが一番なのだが、味の感覚とかを体で覚えていくことがいいのでは無いかと思っている。あ、料理初めて二週間ぐらいの小童が言っております。
買い物が小物になってから、あまりお金を使わなくなった。自炊を始めてから、ちょこちょこキッチン用品などの小物を買っているのだが、そのおかげで自分の買い物欲を満たすことができて、使うお金が減っている。いいことだ。僕はAmazonをウィンドウショッピングする癖があって、なんとなく見ているとポチっていた、なんてことがよくある。生活を便利にしようとすると、あれもいいなこれもいいなとなり、色々買う。でも楽しいし幸せだから僕としては最高の体験だと思っている。お金は使うものだし。
お金を使うことがよくないことだと言われている。そう言っている人は、半分以上は妬みからだと思っている。たくさんお金を持っているユーチューバーさんに対して批判するのは、自分がそうじゃないからだと思う。お金を使うことは経済を回すことなのだから、大前提めっちゃいいこと。誰かがお金を使ったら、企業は企業努力にそのお金を回し、巡り巡って自分が幸せになるという構造に意外と気づいていない人が多い。一番よくないことは、預金口座に溜めまくる人が増えることだと思う。
お金は使えば使うほど入ってくることを、ここ最近感じている。それは額ではなくて、量。買った「物」の数なんじゃないかと思っている。それはきっと、ものが手元に届いて、自分の幸せの総量が感じないところで上がり、日々のパフォーマンスが向上するからなのではないかと感じている。数字の移動は、実際はあまり意味がないと思う。
夜になった。今日は母親とニューマン高輪でショッピング。キッチン用品を買ってもらった。その中に、急須がある。前々からお茶を淹れたいと思っていて、ちょうどいい感じのものがあったから、買ってみた。帰ってきて早速淹れてみたのだけど、これがまたおいしい。コーヒーと違ってだんだんと味が出てくる感じ、温度の変化がいいなと思った。ちょっと和風で、安心する感じがして、すごく新鮮な気持ちになった。
母親が家に寄ってくれて、そこでコーヒーを出した。そしたら、「あんたも成長したわね。」と言われた。うちのおばあちゃんが、僕が生まれた時ぐらいに実家に来た時、同じ言葉を母に言ったそうだ。なんだかそのことを聞いた時、おばあちゃん、天国で元気してるかなと思ったと同時に、自分も大人になれているのだなと思った。コーヒーを淹れたら、母はすごく美味しそうに飲んでいた。
あと、スムージーを作れるボトルも買った。バナナ、みかん、ヨーグルト、牛乳、蜂蜜。電源を入れてガーっとやって、飲んでみたらこれもまたとてつもなく美味しかった。フルーツを食べようとは思うものの、何口も口に運ばなきゃいけないのと、味が変わらないからすぐに飽きてしまうことがちょっと悩みだった。これなら続きそうで嬉しい。ほうれん草とか入れると美味しいらしい。今度やってみようかな。
明日は今来ているカフェで、忘年会がある。クリパも兼ねているらしい。1500円分のプレゼントを買ってきて欲しいとメールもらったので、美味しそうなホタテのお茶漬けと芋けんぴを今日買ってきた。自分でも食べたいぐらい美味しい。ホタテってなんでこんなに美味しい響きをしているのだろう。「ホ」も「タ」も「テ」も、全部美味しそう。そして柔らかい感じともあっていて、今すぐに醤油で炙って食べたい。
カフェで忘年会を開いてくれるなんて、ちょっと贅沢だなと思う。僕は大学時代の友達とはもう縁が切れているから、こういうちょっとした地域の会合があるとありがたい。あと、こういうところで出会う人たちって、仲良くなりすぎないから心地よい距離感でいられることが好き。約束して対面で会うとかだと、ちょっと気持ちが入りすぎて、お互い踏み込みすぎてしまうことがあるから、今はちょっと怖いすらある。大学時代はとにかく人に会うことを頑張っていたのに、人って変わるものだな。
純粋な気持ちを保ちながら、人と関わることは難しい。なんとなく好きだなとか嫌いだなとか、いつの間にか判断してしまって、でもそれは僕は大事なことだと思っている。相手の肩書きがすごいからとか、そういうことを抜きにして、人として仲良くしたいかというアンテナは、常にちゃんとしていたい。
今いる友達を大事にするだけでも、僕は十分幸せだし、それ以上広げることは無理にしないでもいいかな。こうやって誰とも話さないで文章を書いて、それを世に少しずつだしていく。なんだか影の存在みたいで、ワクワクする。
慰めるとか元気付けるとか、そういうことって本来はいらなくて、きっと一緒にいる時間を増やすだけで、人との距離は段々と近くなってくる気がする。だから、大切にしたいと思った人とは長い時間を過ごしていたいなと思う。