2026.01.11

旅に出た次の日は、虚無感に襲われるというが、僕としては安心しきっているいい日だ。もちろん予定は何もない。

居てくれることっていうのは尊いことだなと思った。昨日はZINEフェスで、うちのわんこを母親に見ていてもらったのだが、帰ってきてその二人が家にいたことに、すごくホッとした。当たり前のことなのだけど、僕が遠くに行けば行くほど、手元の水が溢れるように近くの人がいなくなってしまうのではないか、という感覚に襲われる。

大切なものは、たくさんは持てない。色々な人と関わってきたけれど、自分のことを大切にされていない感覚を感じると、その人からそっと離れる癖がついた。それは、僕が大切なものをたくさんは持てないから、なのだと思う。出会う人の人数が多ければ多いほど、充実すると昔は思っていたけれど、それはどうやら違うらしい。それよりも、大切にしている人と大切な時間を過ごす方が、生きるということは楽しい。

昔は、〇〇大学から来ました!小泉です!と色んなところで言って回って、ひたすらに人と会っていた。今思えばその頃が懐かしい。「その時のことがあったからこそ、、、」みたいなことがよく書かれるが、あの時僕が無作為に人と会っていたのは、あまり芳しくない過去な気がする。

ZINEフェスでは、目に留まったエッセイを10冊ぐらい気がついたら買っていた。僕はエッセイを読みながら、インスタでその人の日々を覗くのが好きで、本を書いている方のアカウントも帰ってきてからゆっくりフォローした。その人が発信をしていると、本の中の人が生きている感じがして、また小説とは違った新しい感覚になる。そういう意味で、筆者と気軽に話せるこういうイベントは素敵だなと思う。本を作ることって、今の世の中では簡単になりつつあることだし、もっと気軽にやる人が増えればいいなと思う。

深夜のゴミ捨てに行くときは、なぜか鍵を持っていってしまう。館内にあるから、別に持って行く必要はないのだけれど、なんか帰れなかったらどうしよう、みたいな不安が漠然とあって、持って行く。もちろんけっきもちろん結局使うことはないのだけれど、なんとなく安心しながらゴミ捨てができる。

わんこも、だいぶ僕が留守にすることに慣れたなと思う。来たばかりの時は、僕が外に出る度に吠えたり遠吠えしたりしていたのに、今となってはゴミ捨てに行って帰ってきたら、ヒーターの前でのんびりと温まっているではないか。大人になったねえと思いながら、優しい眼差しで家の中に入る。わんこは大きな欠伸をした。

朝になった。カフェに来た。久しぶりのカフェ。とは言っても二日ぶりぐらいかな。何も変わらずに、挨拶をしてくれる店員さんには助かっている。いい距離感で関わることができるカフェが、家の近くにあることは嬉しいことである。

生活をすることは、すごく楽しいことだ。毎日どんな飲み物を飲もうか、何を食べようか、何を読もうか。そんなことを考えながら過ぎる時間はすごく幸せだ。時に寂しくなることはあるのか?と聞かれそうだが、それはあまりない。うちにはわんこがいるから、寂しいと思うことは一度もない。むしろ生活をしっかりとしていると、時間があっという間に過ぎて一日が終わっていることが多い。

すれ違う人を観察することが好き。そしてカフェにいる人たちのことを観察することも。なんとなくこんな人生を歩んできたのかなと、勝手に空想で物語をつけて、チラチラと眺めている。空想の物語も、章立てをしたり文字に起こすのではなくて、その人の雰囲気や表情、服装から直感でなんとなく感じた物語を、かなりピントがぼやけた映像として脳内に再生する。これは最近できた趣味というよりかは、昔から勝手にすれ違う人に向けてやっていたように思う。やっていると認識したのは、最近だ。

暮らす、という言葉がすごく好きになった。多分だけど日が暮れるまで生活をするということなのではないかなと思っている。すごく素敵な言葉だし、美しい感性を持つ人が夕暮れを見て考えた言葉なのではないかなと勝手に思っている。カフェの帰りはいつもスーパーに寄って肉を買って帰る。肉は大体二日ぐらい持つ量を買う。だから2パックぐらい。そうやってスーパーにいると、自分が世の中のただの一人であるということに安心する。

関心を向けられないということは、案外幸せなことなのかもしれない。昔は有名になりたくて色々と藻がいていたけれど、有名になったところで何が得られるのかと言ったら、そうでもないのではないかと、色々な人と関わって思った。むしろ自分の暮らしを自分で見つめて、自分でそれを感じて表現するほうが、僕は幸せだなと思った。それは一人で完結することではない。周りにいる人たち、何気なく通りすがる人たちの中に自分がいるということを、ちょっと客観的に見て「生きてるなあ」とハイボールを飲むことなのだ。

わんこがうちに来てくれたことは、ほんとうに人生の転機だったのかもしれない。人生が落ち着いたというか、地に足をつけて生活をすることができるようになったと感じている。家にいのちがいることは、僕の心の状態をほっとさせてくれる。もともと会社員の時に適応障害で軽度の鬱みたいになってから、一人の時は気分が落ち込むことが多かった。でもわんこが来てから、落ち込むことは一回もない。わんこが来てからもうすぐで3ヶ月が経つが、3ヶ月も鬱が来ないのは大学生以来初めてかもしれない。

人は一人では生きていけないというが、人間だけでも生きていけないのだなと思う。他の生物がいることで、共に生きることを実感し、知らないうちに助け合っているのかもしれない。

うちのわんこは、吠えるのを我慢しているように見える。生活を共にし始めた時に、僕が吠えないように教えたからか、吠えようとして「うぉぅ!」としゃっくりのようになることがたまにある。マンションなので、隣の家の人のドアが開いたりすると、それが起こる。なんだか健気に我慢しているみたいで可愛い。なんでも制限することはしたくないけれど、教えたことを忘れずに守ってくれるところは、お利口さんだなあと思う。

ディスパッドの花がすっかり好きになってしまった。僕に似合わない壮大に咲く一輪の花に、つい見惚れてしまう。色もビビットな感じで、今回のは黄色。透明感がありつつも彩度もしっかりとある黄色で、なんだか見ていると明るい気持ちになる。それぞれで咲いている自然とは違って、まるで僕のもとに来るために咲いているように感じる。それがなんだか嬉しくて、心をそっと向けてみる時間が多くなった。

人は年間どのくらい本を読むのだろうか。人それぞれだと思うが、僕の本をそのうちの一冊として選んで、ここまで読んでくださったことは奇跡に近いことだと思っている。僕は本との出会いは、偶然出会って話したりすることよりもすごいことだと思っている。ましてや商業出版でもない自己出版で、読んでくださっている方の手元に届いていること、なんだかすごいことだなと思った。

出会い、というものはいろいろな形があると思っている。視覚を通じて、その人を目の前に感じる出会いもあれば、音楽を通じて出会う、農家さんが育てた野菜を食べるなど食を通じて出会う、本当に色々あると思っている。僕はどれも素晴らしいことだと思うし、比べるものでもないと思う。だからこそ、僕は直接会うことを重要にしていない。その人のことを感じる欠片があれば、そこからその人を感じるために想像力を働かせ、出会う。そうやる癖がついてから、あまり寂しくなくなった。お、なんかいいこと言った?

部屋がなんとなく忙しないと、ちょっと心が、というか内側の感覚が痒くなる。整理整頓したくなるというか、ごちゃごちゃしていることが好きじゃないから、なのだろうか。