ふて寝した。20時ぐらいに寝て9時ぐらいに起きた。最近はすごく眠い。今日の朝も、うちのわんこはご飯を食べない。もう知らん。気にしないで自分はコーヒーを飲む。
手作りご飯を作っているから、それを食べてくれないとメンタルがもたないと思って、カリカリだけにした。これで慣れてもらわないと、毎日イライラすることになるから。
こういう眠い時は、メンタルが荒れがちだ。些細なことでイライラする。これはもうしょうがない。3ヶ月に一回ぐらいくる。でも大体これを乗り越えたら何か好転するような出来事が大体ある。前はわんこがうちにきた。ちょうど明日がZINEフェスだから、そこで何かきっかけになることが起こるのかな。
あっという間に夜になった。なんだかんだで、わんこも時間が経ったら置いてあるご飯を食べ始めた。無理に何事も時間通りに食べなくてもいいんだよな。わんこも気分で食べる時を変えたいだろうし、お腹が空いたら食べるぐらいが、ちょうどいいのかもしれない。僕も寝たり掃除したりして、すっかり機嫌が元に戻った。うちのエアコン、わんさか音がしてきているからそろそろ掃除しないとなのかな。コポコポいってきたら掃除ってよくいうよね。
たまに、何をしていいかわからなくなる時がある。人生ってこれでいいんだっけとか、このまま何もしない日が続くことが怖くなる時がある。そういう時は、決まって何もしないに限ることを、今までの人生で知った。センチメンタルな心な時こそ、静かに書くことがいちばんいい。
昨日美容室の人に、自炊が続いていることを話したら、「一度決めたことはやめないよね。」と言われた。そのことが、頭から離れない。きっと嬉しかったのだろう。確かに僕は、一度始めたことや決めたことはなんだかんだで続けている。ポッドキャストも料理もエッセイも、続いている。一回寝かせて違うことをすることはあっても、完全に何かをやめることは確かにないかもしれないな、と言われて思った。これは意外と凄いことなのでは?と思っている。
わんこもご飯をまた食べ始めた。前は下げないで置いとくことはよくないと思っていたが、うちのわんこにとってはもしかしたら常時置いておくことがいいのかもしれない。
前にヒコロヒーさんが、自身が書いたエッセイをAIが書いているのではないかと言われて、怒っていたことを急に思い出した。そりゃ怒るだろうなと思う。懸命に書いたものを、自動生成で作られたなんて言われたら、腹が立ってしょうがない。読むことは短時間でできるけれど、書くことは短時間ではできない。本というものは本当にありがたいし、努力の結晶のようなものなのだと思う。
そういえば昼寝をする前に、さつまいものポタージュを作った。ごろっとさつまいもを使って、バターをたっぷりと入れた。すごくお腹が膨れて、気持ちよく眠ることができた。うちのわんこにも、バターを抜いて少しだけおやつであげた。
さつまいものこともあるが、最近料理が少し手抜きになってきた気がする。料理に慣れてきて、冷凍を使ったりレトルトを覚えたりしてきた。いいのか悪いのか、多分いいことなのだろうけど。母親が僕が小さい頃に昼とかは冷凍のチャーハンを作っていたことを思い出す。あれも愛情だったし、母も母で疲れていて余裕がなかったのだなと思うと、なんだかちょっと心が暖かくなる。冷凍のご飯でも栄養あるし、出来立てだし、なんら変わらなかったよ。
うちにあるコーヒーメーカーは、割と安いからかちょっと薄味のコーヒーが淹れられる。それが個人的には図らずも好きだ。アイスコーヒーを作れば麦茶なのではないかというぐらい薄く出来上がる。それでもほんのりと香る豆の匂いが好きだ。
keke_filmsというvlogをあげている方がいるのだが、その人の動画がすごく好き。なんだかゆったりと力を入れずに見ることができて、流し見にちょうどいい。一週間に一回あげていて、その週の様子をあげている。力を抜いて生活しているからなのか、見ているとこっちも力が抜けてくる。少しお茶目で視点が子供っぽいところも好きだ。
わんこと夜に仲直りした。わんこもちゃんとご飯を食べ始めて、ベッドに来て寝るようになった。そこで僕が「お散歩いく?」と言って夜に出かけた。僕たちの仲直りはそういうものだ。言葉で仲直りができないからこそ、二人で何かを一緒にすることが仲直り。今日はシャンプーの日だったのだが、トリミングサロンでもちょっと不機嫌だったらしく、終わった後もムスッとしていたから、僕もちょっと昨日ご飯食べないことで言いすぎたかなと反省していたから、安心した。なんだかんだで、家族してるなあと思ったり、ちょっとそんな自分が誇らしいなと感じたり。
明日のZINEフェスまでに心を整えることができて良かった。もしエッセイを買ってくれて、さらにそこでは売っていないこの本まで読んでくれた人がもしいたら、本当にありがたいことだ。自分のために書いているとはいえ、やっぱり誰かに読んでもらえることは嬉しい。
たまに、誰かのことが羨ましくなる時がある。自由に飛び回って素敵な写真を撮っている人、自然の中で思いっきり遊んでいる人などを見ると、胸が高鳴るのと同時に、自分も足が自由に動いて、色んなところに行けたらな、なんてことを思う。でも、そう思ったらすぐに、いやいや僕には想像力があるからいいんだ、恵まれているからいいんだと、反射的に慰めるようになった。少ししょげていると、わんこが起きてきてそっと隣に来てくれた。そうそう、僕には家で大切にしたいものがあるから、これでいいんだと、また思い直す。
羨んだってしょうがない、そんなふうにはできてない。憧れはきっと、自分ができることを浮かび上がらせるためにある。大丈夫、大丈夫と言うように、隣でわんこがすやすやと寝ている。ああ、これでいいんだと幸せを見つめ直す。そうやって分かっていることなんて、たくさんある。花の名前なんてわからないけど、僕は立派に暮らしている。笑い堪えて、カフェでショート動画を見るほどには幸せだ。これは強がりなんかじゃない。