2026.02.01

何の気なしに2月が始まった。昨日は19時ごろに寝てしまい、今は4時前。時計の感覚がなくなってきたので、寂しそうにしていたピクチャーレールに時計をまた飾った。この前の僕は、ちょっと時間を忘れたかったのかもしれない。

ずっと思い出せない曲がある。それは別にエモーショナルな曲ではないのだけど、僕が躁病の時に聞いた曲なので、妙に頭にこべりついている。ちょっとだけ明るくなれる曲調が子供っぽい曲。検索しても出てこないから、そんなに有名ではなかったのだろう。ハイホーとか言っている曲だった。

音楽の趣味も、だいぶ変わった。流行りの曲は全く好きになれなくて、インディーズのゆったりとした平穏なものばかり聞いている。音量が大きくハイテンポな曲が流れてくると、咄嗟に飛ばしてしまうようになった。なんでなのだろうか、レコ大を取ったアーティストの曲をほとんど知らない僕は、やっぱり世間から外れているのだろうか。

人は知らないところで別れ、知らないところで関係が終わることがある。僕も最近、そういうことがあった。お店での仕事をやめると言われていた僕は、そのお店にその人が辞める前に行こうとしていたが、行く気になれず2月になった。お店の記事には、昨日、最後の挨拶が上がっていた。ああ、ちょっと寂しいけれど、こういう別れ方もいいなと思った。

最後に会うと、人は関係を延長したくなる。もっとその人と一緒に居たい、そんなことを願ってしまい、距離感を間違える。関係が延長されたとしても、今までちょうどよく保たれていた何かが壊れるから、上手くはいかない。やっぱり、出会いとは時にむずかしく、時に思いきりすんなりと自分の人生に現れるものだなと思った。

ゲームとの付き合い方も大人になったなと感じる。1ヶ月ほど前にスイッチ2を買ったのだが、あまりやっていないけどたまにやっている、という感じ。人生の方が優先で、ゲームは本当に息抜き程度。子供の頃はゲームのために生きていたのに、大人になったなと感じる。1時間もやればへとへとで疲れてしまうようになった。

何かに集中すると、過集中してしまう。だから、あまり集中しないで物事を進めるようにしている。

映画を見れば取りこぼさないように2時間集中して、終わる頃には映画なんてもう二度と見たくないぐらい疲れている。そんなことで数ある素敵な映画に出会えないのも嫌だなと思い立って、垂れ流しで映画を流し始めた。今は「舟を編む」を見ている。

見逃したら途中で見返せばいいし、まあ別に見返さなくても映画なんていくらでもある。そういう心持ちで映画を見ることができるようになったのは、なんだか贅沢だなと思う。

1時間半ほどが経った。すっかり「舟を編む」の虜になっている自分に気づいて、数行前に書いていたことと矛盾していて格好悪い気がする。気がすると誤魔化しているところも、なんだか。なんだかと言っているところも、なんだか。

人生にはいろいろあるなと思う。本当にいろいろあるし、いろいろありすぎて分からなくなるぐらい。大きいことも小さいことも、ありすぎて脳みそじゃ追いつかない。

あと、頑張る人はかっこいい。真面目に、ひねくれながら、それでも自分が大切にしたいものを、不器用に大切にしている。人生なんて、そうやって完璧じゃないまま、死んでいく。

こうやって、何の気なしに見始めた映画が、人生の中で大きな気づきになる時だってある。そしてそんな感傷に浸るまもなく、この映画を見ていた一時間は、あっという間に過去に溶けていく。

そんな気持ちをこうして言葉に残しても、その瞬間の感情はもう二度と同じようには味わえない。

見終わった後に、Netflixが「この映画はいかがでしたか?いまいち?いいネ!最高!」と聞いてきた。呆気ねえなあ、愛おしいなあ、と思いながら、「最高!」を押した。