30日になった。月の終わりらへんは好きなのだなと、数字を見て感じる。古ぼけた幼少期の記憶がふと蘇ることが最近は増えた。なんでなのだろう。
部屋の電気を暗くすると、10時ぐらいまで寝られることがわかった。最近は安心しているのか、かなり長い時間寝ることが出来るようになった。少し前までは、夜中に寝ても4時とか5時には目が覚めて、そこから冴えて眠れない日々が続いていた。まぁ、それでも苦しくはなかったのだが。
今日は、朝の風呂の時間をずらしてみている。わんこのうんこと時間が重なると、まだパピーのわんこはうんこをうんこを食べてしまうので、ちょっと僕の風呂の時間を遅らせようと思った。ゆっくりコーヒーを淹れてベランダで飲んで待っていたら、ちょっとしてわんこがうんこをした。うんこばかり言ってすまない。でも僕たち家族にとっては、大切なことなのだ。
朝に外の空気を吸うことは、すごくいいことだなと思う。今日はズボンを2枚履いて外に出てみたのだが、裾のところが開いているもので、あまり意味はなかった。相変わらずブランケットとダウンを羽織って、外で本を読みながらコーヒーを啜った。
だんだんと陽が出てきて、頬に太陽の暖かさを感じて、少し嬉しくなる。背もたれに寄りかかると顔全体に太陽を感じることができて、ああ今日も生きているなあと思う。それが嬉しくて、何回も何回も背もたれに寄りかかっては背筋を伸ばして、また寄りかかってを繰り返す。
うちのわんこは、玄関のドアの前で物音がしたからか、ずっと玄関の方を警戒している。ちゃんとこの家を自分の縄張りだと思っているのか、うちのわんこは郵便の段ボールが来ただけでも、吠える。外では全く吠えないのに、家の中で吠えるということは、よっぽどこの家が大切なのだろうと思って、ちょっと嬉しくなる。
パジャマで過ごす朝の時間は、すごく気持ちがいい。贅沢だ。このまま時間が過ぎて、解けるようにしてまた眠りたいと思う。着替えたくない、風呂には入りたいけど、まだパジャマでいたい。そんな気持ちから、僕は日中をパジャマで過ごすこともある。もちろん、そのままカフェに行くこともある。
午後になった。時計は仕舞ってしまったので、今は何時かわからない。ただ窓の外の空が少しずつ薄くなってきて、街の活気が落ち着いてきたから、今が夕方なのだとわかる。
彬子女王のエッセイを買った。皇族の方で本を出されている方がいるとなよまるに聞いてから、気になって買った。「初めて一人で外を歩いたのは、日本ではなくてオクスフォードだった。」という帯の文章が僕のどこかに深く刻まれた。僕からしたら、少し狭くて苦しそうな世界で生きていると思ってしまう彼女の、天真爛漫で世界を楽しんでいる姿が描かれていて、なんだか親のような目線で読み進めてしまう。一人の人間ではあるけれど、他の人と同じように扱われることはいい意味でない、皇族たち。それは辛いとか苦しいとか、そういうことを考えているのは、もしかしたら僕らだけなのかもしれない。
もっぱら一人でいる時間が多くなった。昔に行っていたワーキングスペースも、一人の友人と縁が切れてから、めっきり行かなくなった。むしろ今は、人と関わることが少し怖いぐらいだ。怖い、そう、怖い。
それは僕が平穏な日々を過ごしているから、それを邪魔しないでほしい、何気ない一言で自分のことを傷つけられたくないという、意思の表れだった。人は必ずと言っていいほど、自分に意見を押し付けてくる。こうした方がいい、ああした方がいい、こっちの方がいい、と。自分の人生の大半を、微塵もわかっていないくせに、テンプレートな生き方を押し付けてくる。わんこと散歩していた時にそれが起こった時は、もう僕は外の世界では生きられないのだなと思った。
喋らないわんこがいてくれて、僕は心から、救われている。
pagesのUIが少し変わっている。ロゴは前の方が好きだったな、なんてことを思いながら、家の近くのカフェに来た。コーヒーとパン、いつも行っているところとは反対側にあるカフェだ。コーヒースタンド、と言った方がいいのかもしれない。ここはコーヒー豆が豊富で、干渉もされないので落ち着いていられる。一日に一回、一人で外に出ることが僕にとっては大切なので、こういうところが近くにあるのは嬉しい。コーヒー豆や缶を買ったことはあったが、店内利用は初めてだったので、なんだか新鮮で嬉しい。
店内では、いとうあさこさん、じゃなくてイモトアヤコさんのエッセイを読んだ。(素で間違えましたごめんなさい笑)そのエッセイの最初に、いとうあさこさんとの仲睦まじい話が書かれていて、ほっこりした。そして、軽やかで強い人たちだなあと感心した。僕はぬくぬく、一人で家でせいろを食べて、痩せたー!とか言っている間に、この人たちはアマゾンの奥地で背中に火をつけながら自転車で海に飛び込んでいるのかと思うと、現実味がなさすぎて店内で笑ってしまった。いろいろな世界がある。
もともと足が悪いせいか、動かなくとも様々なものを享受できる体質になるように育った気がする。アーティストのライブに行けば、足場の悪さとずっと立っていなければならないという理由で、絶対に家で聴いたほうがいいと高校生の時に思った。旅行に行っても、パンフレットで見た鮮やかな写真の感動を超えることは一回もなかったので、YouTubeの画質マックスで観た方がいいじゃないか、となって、旅行に行く意味を失った。それ以来、遠くに出かける理由もなくなり、いつしか本とコーヒーさえあれば、いつでも頭の中で旅ができるようになった。便利な脳みそである。