また変な時間に起きた。時刻は深夜の2時になろうとしている。今日は昼からボイトレの体験レッスンがあるから、ちょっとはこのあと寝たいなあと思いながらも、この時間に起きていることが好きな僕は、YouTubeを流し始めた。
ボイトレの体験レッスンとはどういうものなのだろう。そもそもボイトレとは何をするのだろう。全く見当がつかない僕は、一応なんか歌いたい曲はありますか?と言われたら菅田将暉の「さよならエレジー」を出す予定である。
個室に分かれて、ヘッドフォンなんかつけちゃって、いいマイクとかあったりしちゃったりするのかな。膨らむ妄想でまた目が冴えてくる。
ホットミルクコーヒーが飲みたいと思って、前に買ったお気に入りのBRUNOのマグカップに牛乳とアイスコーヒーを入れて電子レンジで温めた。よし、これでホッとしようと思って床に座ってローテーブルにゆっくりとマグカップを置いて、飲んだら、冷たかった。BRUNOのマグカップが、保冷性能が高すぎて電子レンジの熱を跳ね除けていたっぽい。恐るべし企業努力。
予期しない冷たいミルクコーヒーは、僕の目をさらに覚ますことになった。
最近、昔よりもYouTubeとかラジオが楽しめるようになった気がする。のんびりの見ることができるようになった、と言った方が正しいかな。
前は、自分が出すことばかりを考えてやっていたから、あまり人の発信を見ても純粋に楽しむことができなかった。最近は流行りの「推し活」ができるようになった。好きなユーチューバーの動画を見て時間を潰すことが好きになった。
時間を潰すという、マイナスな言い方が前は嫌いだったのだが、最近はもう全然いいじゃん、ってなった。そういうことをいちいち気にして「あ、自分ダメ、この自分嫌い。」とかやってる方がバカバカしいなと思うようになった。この時間にドックフードを食べ出すわんこ、そう、人生なんでもいいんだよね。
もっと適当に生きていいんだよなと思う夜。結構今まで変に真面目に生きてきたなと思う。それはそれで良かったこともあるのだけど、やっぱりのびのび生きた方が楽だよね。楽だし、なんか心がほわってなるというか(伝われ)、そういうこと。
朝になった。朝からわんこがティッシュをいたずらして、さっき怒ってきた。僕は怒りながらも心の中では笑っていて、びびっているルゥちゃんのことを可愛いなと思っていた。それすら察せられてたらこちらの負けだ。
今日も幸せだなあと呟きたくなる日。PEOPLE 1の「常夜燈」を聴いて、すごくすごく幸せな気持ちになっている。なんだろうこのふわふわした感覚。この~せ~かいには~♪
今日はボイトレだ。なんだかいい日になりそうで嬉しい。こういう気分の日は大体良いことが起こる。今までの人生もそうだった。
頑張っている人は素敵だと思っていた。素敵なのだが、それはみんなではないことに気づいた。というよりも、頑張っていてもいなくても、どっちでも楽しければええやん、となった。それは生きているだけで丸儲けとかそういう話ではなくて、普通に楽しければ良くね?ということ。
よくこういう話をすると、生きてるだけで良いよねとか、一緒に居られるだけで幸せだよねとか、そういう一般論になりがちな気がする。それはそれで良いというか、僕にとってはどっちでも良いのだが、僕は生きている上で全身で幸せを感じたいし、楽しみたい。一般的な楽しさではなくて、僕だけが感じることができる楽しさ。それを感じたいなと思いながら生きている。
今日は豚肉が安いかなとか、そういうことで僕の人生には楽しみが芽生えるから、コスパのいい心である。もともとこういう心持ちだったわけではない。昔は、うんとコスパの悪い心だった。うんと、と打ったら「うんこ」が頭によぎるぐらいは間抜けだ。そして、これをエッセイに書いてしまうぐらいには、お茶目で正直ものだ。(心の中でツッコミを入れてください)
夜になった。ボイトレも終わり、ニューマン高輪で蒸籠を買って蒸し料理を作って、エッセイストのmochiちゃんと新しいポッドキャストを始めて、怒涛の一日だった。楽しかったなあ。
ボイトレは、思った通りすごく楽しかった。声を出すってすごく疲れるんだなと思った。口を大きく開けて歌うことは、あまりやってこなかったからなのか、すごく体力を使った。講師の先生が優しくて、助かった。僕がたくさんの活動をしていることを尊敬してくれて、そういうところも相まっていいなあと思った。
これから、週一で通うことになった。
蒸籠蒸しですよ、蒸籠蒸し。めちゃくちゃ美味しいのねこれが。YouTubeで紹介されていてめちゃくちゃ良さそうだなと思って購入。野菜を並べて10分待つだけであっという間にしゃぶしゃぶ屋さんで出てくるとろとろのものが出来上がった。蒸し布の使い方を間違って少し布を焦がしてしまった。まあ、それもご愛嬌ということで。
平和だとエッセイはあんまり面白くならないなと今書いていて思った。それはそれでいいのだけど、幸せなことは引っ掛かりがなく進むから、そういう意味でエッセイで書く取っ掛かりがないなあと思った。いいのか悪いのか、とりあえずうんちと言っておけばいいと思っている自分を殴りたい。
お風呂に入って落ち着いてきて、また書きたくなってきた。mochiちゃんとのポッドキャストを聞き返していて、明るい自分の話し声にすごく安心した。楽しそうな自分がこうして客観的に分かると、嬉しくなる。mochiちゃんの声色もすごく生き生きしていて、ああ、これは始めてよかったなあと思う。
大学生の頃から、人を巻き込む力があった。サークルでイベントを企画すれば100人ぐらいが参加し、幹部をやっていた時は新歓ですごくたくさんの一年生を引き連れて歩いていたことを覚えている。その時は求心力がありますねと、よく後輩から言われていた。それはいいことだなと思いつつ、そういう立ち回りをすると仲のいい友達が出来ないことにも悩んでいた。
今の自分は、丁寧にその人と向き合うことを大切にしている。というか、そうするようになった。多くの人と関係性を持つことは、意外となんの心の幸せにも繋がらない事を、大学を卒業してからの5年で学んだ。
だからこそ、今やっているポッドキャストは楽しい。その人と向き合って、語り合って、他愛もない話をして、そうやって関係性が深まっていくのが、すごく楽しい。やっと本当に一緒にできる人たちを見つけた感覚があって、心がすっと座っている感覚がある。
ルゥちゃんがこの家を自分の家と思ってくれていることがシンプルに嬉しいなあと、今リラックスしているルゥちゃんをみて思った。当たり前のことかもしれないけど、見ず知らずの人だった僕のことを家族として受け入れてくれたことは、嬉しいことだし、誇りに思う。この時間になると、おもちゃにも反応せずに目がとろんとしてくるのが愛おしい。