そういえば2月は28日までしかなかった、ということに昨日気づいた。あ、そしたらこのエッセイをジンフェスまでに完成は無理か、と思って、ちょっと気が抜ける。
ポケモンの新作が発表された。WINDSとWAVES。いい名前だなと思った。きっと買わないのだろうけれど、また楽しむ人が増えることはいいことだし、ポケモンの世界観は本当に好き。可愛いから、新作が出ただけで嬉しい。
特にポケモンのグローバル公式インスタアカウントが投稿しているリールが僕はすごい好きで、ポケモンが生活に馴染んでいる様子がアニメーションとして描かれている。すごく好き。可愛いし、なんだかうちにいるわんこみたいに生活していて、うちのわんこに、お主はポケモンなんか?と言いそうになる。いや、逆か。ポケモンがそもそもうちのわんこみたいなんだ。そうだそうだ。ポケモンもしっかりと生きているんだなあと、思うと、また嬉しくなる。
ふと恋愛アカウントのフォロワーさんが送ってくれる恋日記を読んでいて、ああ、恋したいなあと思った。こんな感情になったのは久しぶり。でも今の感情は今までの「恋したい」とは若干出どころが違うのかもしれない。
今は「自分のことを好きでいてくれる人を幸せにしたい、そして自分もその人がいることで幸せになりたい」という欲求な気がする。それは依存ではなくて、いなくてはいけない欠かせない存在としてお互いを愛することができたら、きっと楽しみが増えるのではないかと思っているから。
小学生や中学生の頃はよく恋をしていた。好きな人がしっかりといた。でもいつの間にか、「自分はかっこよくない」という自己認識がこべりついて、自信をなくして、恋をしなくなっていた。多分高校生ぐらいから、自分に自信がない。
それが、社会に出ていろんな人を見てきて、自分って優しいしいいやつなんだ、ということに気づいた。そこから、少しずつ自分に自信がついてきて、恋したいなと思うようになった。
朝になった。今日はとても機嫌がいい。天気がいいからだろうか。ルンルンでパン屋にいる。さっき小説の書き出しを3ページほど書いたのだが、すごく楽しかった。エッセイを書いているみたいに書くことができて嬉しい。また新しい表現方法が見つかって、すごく楽しい。
パン屋は土曜日なのに席が空いていた。ガラガラではないけど二つ空いていて、座ることができた。ラッキー。今日はそういう日かもしれない。久しぶりにnever young beachを聞く気になって聞いている。そんな朝。相変わらず花粉が飛んでいてむずむずする。
今日は昼ごはんを食べてからパン屋に来た。昼ごはんにはいつも通り蒸籠を食べたのだが、そこで玉ねぎを大きく切ったまま入れてしまい、めちゃくちゃに辛かった。僕はわさび系のツンとするタイプの辛さが苦手だったので、朝から悶えていた。ぬおおおと、心の中で叫びながら、口の中にある玉ねぎに負けてはいけないと、歯でむしゃむしゃとそいつをぶっ潰していく。俺は負けない、俺は負けないと思いながらも、4等分された玉ねぎのうち、3つは三角コーナーに吸い込まれていった。
ポケモンの新作、ポムケンが可愛すぎて死にそうになる。進化して欲しくないと思いながら、色々なイラストがインスタに流れてきて微笑む。ポケモンも、毎回いろんな新キャラを描いていて本当にすごいなあと思う。そしてダイヤモンドとパールとか、そういうシンボル?も尽きないのがすごいなあと毎回思っている。
ナチュラルローソンが神すぎることに、最近気がついた。うちの近くのナチュローには、野菜が豊富に売っていて、さらにそこまで高くない。だから、蒸籠に入れる材料がそこで揃うので、助かっている。
今は当たり前になってしまったが、24時間営業というところも、僕としては本当に助かる。食べたいときに食べたいものが手に入りやすいというのは、なんて恵まれたことなのだろうといつも思っている。だから僕は、レジで会計をするときは、目を見て「ありがとうございます!」と言っている。ちょっとだけ照れくさいのが、東京人らしいなと思う。
「成瀬は天下を取りに行く」から始まった成瀬シリーズを読み始めた。小説の単行本は全部ソフトカバーを外すという意味不明な行動に昨日まで出ていたので、一巻の天下を取りに行くが、ソフトカバーを外され、青い新聞漫画のような見た目になってしまった。だからという理由でなかなか一巻を読む気が起きず、二巻の「成瀬は信じた道をゆく」から読み始めた。
正直、面白すぎてびっくりした。そして読みやすい。なんだこの本は、すらすら読めるぞ、、、!と驚いた。野崎まどさんの「小説」やFさんの「真夜中乙女戦争」からの流れだったから、余計読みやすく感じたのかもしれない。にしてもめっちゃ読みやすいなと思いながら読んでいた。
「小説は魅力的な主人公が思い浮かんだら書くべし」みたいなことがこの前行った「物語のつくり方」に書いてあった気がして、成瀬はそれなんだなと納得した。そして僕が書き始めた小説もまさに成瀬のようなキャッチーなキャラが主人公なので、楽しみながら書いている。
今日は母親が家に来た。僕が通っている心療内科は埼玉にあって、なかなかいけないため、母親が代わりに行ってくれている。そのときにマイナンバーカードを渡すので、それを返しに来てくれる。本当にありがたいことだ。わんこと一緒に散歩に行って、本を何冊も買ってもらった。子供ながらに嬉しかった。
母親と家で話していて、孤独についての話になった。「40代ぐらいになったら寂しくなると思うよ」と言っていて、なんだか予言されているような妙な感覚になった。でもその後に言っていた、「私はほら、友達なんていないから」という言葉に、なら自分も大丈夫そうだなと思った。確かに、母親はテニスをするかエステに行くかぐらいしかしていなくて、友達と遊んだりしている姿は見受けられない。でも全く寂しそうではないから、不思議。やはり親子なのか、自分と似ているなと思った。
母親に小説の書き出しを読んでもらった。初っ端に誤字を指摘されて、あっ、と思った。母親は誤字を見つけるのが得意で、たびたび指摘されている。5分ぐらいかけて読んでくれて、読み終わったら「上手くなったね~~」と言ってくれて、嬉しかった。僕が書き始めた時からなんとなく読んでもらっているので、ちゃんと上達していることが分かるらしい。
南あわじに住んでいる旧友がいる。僕の多分一番古いぐらいの友達。高校からの友達。なんとなくインスタで繋がっていて、東京に帰ってきた時はたまに会っている。
ああ、時は流れたなと思った。僕たちが高校生だった時は、旧友が南あわじに住んで、僕が作家になるなんて、思っても見なかった。でも、なぜか二人で会うと高校の頃の感覚と変わらないままで話すことができて、僕は密かに会うのを楽しみにしている。幸せになってほしい。旧友は、南あわじで小さなプログラミング教室を開いている。インスタで知った時は、プログラミングなんて好きだったんかい!と突っ込んだ。長い付き合いでも、知らないことだらけだなと、一人で笑った。
「禿げそう」という言葉に最近ハマっている。本当に禿げていらっしゃる方には申し訳ないのだけど、禿げている自分を想像したら笑けてきて、やばい時に使うとちょっとポジティブになるから好き。禿げそう禿げそうと言っていたら、本当に禿げそうになる気がするのであまり使いたくないのだけど、今日もプライベートアカウントのストーリーで「ポケモン新作楽しみすぎて禿げそう」と言っている。未来で禿げるか、見ていてくれ。
