2026.02.26

3月のZINEフェスにこの本を持って行きたいなとふと思った。まだ半分も書いていないけど、なぜか行ける気がして、ちょっとだけ文章を急いでみる。せっかく手に取ってもらえる機会だから、前回の『「ただそれだけ」の練習』だけではなくて、これも、、、何卒、、、!という気持ちである。どうなったかは、これを手に取ってくれた人ぞ知る。

だいたい僕は音楽を聴く時に、適当に聴くことが多い。アーティストの名前も曲の名前もわからないまま、SpotifyのDaylistで流れてきたものに、いつも身を委ねている。

そうすると、たまにこれいいなという音楽に出会う。それでも何か保存することもなく、ただ流れていくだけ。僕の音楽に対する姿勢は、小さい頃からそんな感じ。聞き流すだけ、音楽という波間に心をさらして、揺れてのんびりすることが昔から好き。曲を聴いているというよりは、その音楽で広がる感覚が好き。

わんこは、風に乗ってやってくる匂いで、未来で起こる出来事がわかるらしい。特に誰がくるとかは、近づいてくるとはっきりわかるらしい。だから帰ってくる時にお出迎えとかができるとかなんとか。すげえ、とめっちゃ思った。人間は夢を追うけど、何秒後かの未来なんて気にしちゃいないのに。なんだか不思議。

アーティストさんのラジオをradikoのタイムフリーで聴いていると、そのパーソナリティの曲じゃない音楽が選曲され、流れてくることがよくある。そして、あまり好みではない音楽が流れることが多い。今は星野源さんのオールナイトニッポンを聴いているのだが、とんでもない東南アジアみたいな音楽が流れている。黙って聞く。あまり好きではないけど、聴く。

でも、気づいたことは、今日はそういう雰囲気か~という、星野源さんが抱いている感覚が体に入ってくるなぁということ。音楽は、一番そういうのが伝えやすいのかと思って、いいなぁ、いいなぁこのやり方!と思った。Spotifyだと、音楽が飛ばされてしまうので、タイムフリーに入ってよかったと思った。

行ったことがない景色が、小説を読んでいると広がることがある。エッセイを読んでいる時は、どちらかというと自分が見た景色が浮かぶのだが、小説はまた違う感覚。

本を読み始めたのは、実は一生の中でいうと1年半前ぐらいからである。小さい頃は、本を読むことがすごく苦手。国語ももちろん苦手で、中学の頃、塾でやった懐かしの駿台模試で偏差値35を取ったときもある。流石にやばいなと思った。それから、「言葉を読む」という行為は自分には無理なのだと思った。

はっきりと変わったのは、僕が大学を卒業した後にデザインの専門学校でのこと。自由な価値観と徐に浮かんできた言葉や絵で世界を捉えていいという感覚を教えてもらってから、表現の全てが好きになった。あとは、くだらない話もその時ぐらいから好きになった。

それまでの自分は、真面目で自己啓発的な、ちゃんとしようちゃんとやろう人間だった。つまらない人間だったなぁと思うし、それもそれで自分が生きてきた道なのだから、愛おしいなぁとも思う。繊細で几帳面な性格は、間違いなく幼少期に形成されたもの。

デザインを学んで最初に好きになった表現方法が「写真」だった。そこから色々な形で写真を続けて、このエッセイでよく出てきている恋愛アカウント「愛は猫の眼」の走りに自分の写真と言葉を載せるようになる。そこから、なんとなく言葉が好きだなと思った。ただ、その時の言葉というのは、すごく突発的で偶発的な言葉たち。まるで写真のような、言葉だった。もともと幼少期に本を読んでこなかったので、言葉を「意味」として捉えることができない。それは多分今もそうで、言葉は「空間」や「色」を作ることに似ていると僕の中では捉えられている。巡り巡って、国語が苦手だったことは良いことだったのかもしれない。ただ偏差値35は流石に応えたけどな!そんなこんなで、言葉は自由、と知ってから、読書と書くことがものすごく楽しくなった。

朝になった。

今日のおみくじは「大凶」。僕が先日作ったサイトで、僕も毎日おみくじを引くことにしている。書いてある言葉は「今日はそういう日」。ああ、と思いながら、リロードしてもう一回おみくじを引く。出た目は「吉」。書いてあった言葉は「問題ない、どんどんいこう」だった。問題ないらしい。

ハードカバーの本が好きになった。いくら読んでもヘタレないがっしりとした感じ、なんだか集めたくなる雑貨的な要素も相まって、すごくすごく好きになった。というか今まで、ハードカバーの本なんて読んだことなかったのかもしれない。特に何度も出てきている「汝、星のごとく」は紺地に星がまぶしてあって、夜空みたいで、お気に入り。

友達の書いた文章を読むのが好き。みんな本を出せばいいのにと思いながら、今日も友達のnoteに投稿されている週間日記をのんびりと読む。

知っている人が書いている文章は、なんだか安心感がある。その人が今その瞬間に隣にいてくれる感じがする。

過去の自分のエッセイをよく読み返すのだが、わんこの話の中で「抱きしめてあげた」と書きたかったであろう文章が「抱きしめたあげた」と書いてあった。多分誤字なのだろうけど、「たぁげた」という響きがなんとなく好きで、ほんわかな気持ちになった。

本をちゃんと買い始めてどのぐらい買ったんだろうと数えてみた。本が好きになって多分1ヶ月とか2ヶ月とかだと思う。121冊買っていた。わろた。おまえ、わろた。もちろんほぼ積んでたり、ちょこちょこしか読んでなかったりするけど、よくそんな選べたなと思う。それでも10万ぐらいなのか、と考えたら、もちろん高いけれど、安いな、とも思う。

午後になった。

わんこの散歩に行った。そこで桜を見た。きっと河津桜だ。路地からその桜はどっしりと、でも華やかに咲いていた。その時の光景は、きっと忘れないのだろうなと思って、そっと近寄って、立ち止まって、じっと見た。わんこは下に落ちている花びらの匂いを、珍しそうに嗅いでいた。この街に住み始めて、初めて桜を見た。わからない、見ていたかもしれないけれど、初めて認識した。ふと、涙が出そうになりながら、RADWIMPSの「ふたりごと」を口ずさんだ。帰ってきて、「筆舌」が聞きたくなって、聴いた。

最近、子供の頃に見ていたアニメが面白い。何気なくYouTubeに流れてきた「くまのプーさん」や「おでんくん」を見て、やっぱり面白いなあと思った。勢いでDisney+に入った。1100円ぐらいで、意外と安かった。勝手に6000円ぐらいすると思っていて、んなわけあるかいと過去の自分に突っ込んだ。

木曜日なので、今さっきポッドキャスト「おっとっと、」の収録が終わった。毎回新鮮な話ができて嬉しい。特に本がめちゃくちゃ出てくるから楽しい。

ポッドキャストの中で、mochiちゃんが何気なく言った「書いてみてほしい」という言葉が、すごく心に残っている。小説を書くための本を買ったという話をしたら、言われた言葉。小説の書き方を読んで、あ、こうやって組み立てればいけるんだと思って、俺いけそうだわ、みたいなことを話したら言われた言葉。mochiちゃんは本当に嘘の匂いがしない言葉を発するから、すごくすごく勇気付けられた。でもこの文章を書いていて、小説を書くことがまだ怖い自分もいることに気づく。なんだか書いていてぎこちない。

まあ、とりあえずゆっくり書いてみようと思う。どんなに時間がかかってもいいから、書いてみる。小説はどっちかというと「組み立てる」の方が多いっぽい。エッセイとはまた全然違うのだなと思った。何も知らないで書いていたんだなと、過去の自分を振り返る。

矢面に立つことは、どういう気分なのだろうか。今はほとんど誰にもみられていないこのエッセイが、いつかたくさんの人に見られることが怖い。いや、見られること読まれることは嬉しいし最高なのだが、それによって自分が書けなくなってしまうことがあったりなんかしたら、と思うと怖い。なんて、世に出る前提でそんな心配するぐらい、自分の自信があるのかな。いいことだ。ポッドキャストの時に使っていたマイクがこちらを向いていて、なんだか嫌だったので、横に逸らした。

最近あまり眠れていない。眠れていないというのは時間の話で、体のだるさとかはないのだけれど、眠いのに眠れないという日が続いている。正確には「眠りたくない」なのかもしれない。うとうとするけれど、書きたい読みたい、なんとなく寝たくないという心の動きがはっきりと感じられて、眠れない。

未来に希望を感じると、興奮して眠れないことがよくある。今日だったら、小説を作り始めたこと。多分それで、眠れないのだろう。ワクワクしている証拠。RADWIMPSの「正解」の歌詞で「喜びが溢れて止まらない夜の眠り方」という歌詞がある。誰も教えてくれないものとして登場する。好きな歌詞だなと、ふと思い出す。

面白かったら、おすそわけしてねん〜