最近夜にあまり眠れないことが多い。というか眠りたくないことが多い。日中の時間を何故か無駄にしてしまっている気がして、それを取り返そうと夜の11時ぐらいに奮起して風呂に入り、そこから夜ふかしを決め込む生活が続く。ああ、全部ソーシャルメディアのせいだ。
ソーシャルメディアは全てのことを無に返す力があると感じる時と、なんでも叶えてくれる魔法の場所に映る時で、二つの顔を見せる。昨日はそれが切り替わった日だったので、今日はソーシャルメディア大嫌いDAYだ。深夜にせっせと文庫本を棚からとって、何かを得ようと読んでいる。これもまた、何か追われている気がして、書いていて正解がわからなくなる。
ネガティブなことを考えるのはやめて、なるべく平和なことを考えることにしよう。ソーシャルメディアは、頭の中から一回消し去って、さっき足の加圧式マッサージ機を巻きながら読んでいた芸人の若林さんのエッセイを思い出す。太陽の塔かあ、みてもなんだこのヘンテコなやつ、としか思わなかったなあ。
深夜になった。夜ふかしを決め込むとかなんとか言っておいて、さっきは速攻で一眠りした。直前ま自己制作のでサイトをいじっていて、集中していたから、疲れていたのかもしれない。ああ、スッキリした。
加湿器の中についてしまう白いシミのようなものは「カルキ」というらしい。母親から教えてもらった。なんだそのカルビみたいな名前は、と思いながら、洗わないとねぇという声を聞いていた気がする。カルキねえ。それを聞いた後も、どうしても洗っても変わらない気がして、洗っていない。
何が書きたいのかもよくわからなくなってくる時期なのかもしれない。短い小説を書きたくなったり、創作日記なんてどうか?とか思ったりしたけれど、現実味がないものはどうも気が進まない。結局僕はどこまで行ってもエッセイストなのだろうなと思う。エッセイは書いていて不思議と苦ではないし、なんならもう生活の一部になっている。不思議だ。
エッセイを読み返していると、機嫌がいいことはすごく大事なのかもしれない。それは面白いエッセイを書くということにおいてである。昨日のカフェでの話とか、読み返すと自分でも面白いなと思う。そういうものは決まって機嫌がいい。今までのエッセイでも同じことが言える。
「靴下のまま、星を見る。」を読み返す。タイトルを打っている時に、靴下の「まま」が「ママ」に変換されて、んなわけあるかいとツッコミを入れる。
やっぱり自分の本は読みやすいと感じる。なんだか指で本の文字をなぞりながらスラスラと話が進んでいく感覚がある。一回見た映像をもう一回見る感覚にも近い。いつかこれが全国に届く日が来たらなあ、なんて夢みたいなことを考えられるのも、夢がまだ叶っていない時期だけだから、大切にしたい。
朝になった。パン屋での祝日の席取りは命懸けである。空きそうなところに狙いを定めて、強欲に「私が席を取ります」というオーラを出して、開いた瞬間に席を捕獲する。僕はこれを「ハント」と呼んでいる(今決めた)。
じめじめしている。結構嫌いな気候で滅入る。晴れているけど湿気が多い感じ。天気がいいことと湿気が心地いいことが重なる日は一体いつのことやら。そういえば今日、パン屋に来るまでの道でピンク色の帽子を被っている男性を二人見かけた。僕の偏見なのだが、ピンク色の帽子を被っている男性は、ダンスをやってそうでちょっとポップな見た目だけどしっかりと怖そうという印象がある。今日の二人も漏れなくそんな感じの方だった。
Kindleで何冊か本を買ったのだが、しっくり来る内容ではなかった。パラパラと端末をタップして読んでみたが、全然面白くなかった。結構残念。
僕が本を面白いと思うのは、「具体的かどうか」と、「なんかちょっとした小ボケだったり、後味が良かったりするか」の二点である。内容に少しでも自己啓発的な文章が入っていたり、しっかりした文章だったり、そういうのは全く面白いと思わない。その人の生活の感じが映っている文章が好きだ。だから著者で言うと、くどうれいんさんと、燃え殻さんが好き。ミーハーだけど、やっぱりめっちゃくちゃ面白い。
パン屋に来る途中で、同じマンションに住んでいる可愛い人とすれ違った。その人は黒の豆柴と生活していて、時々散歩ですれ違い、そこから挨拶をするようになった。上着を着ておらず、白いニットのようなものを着ていて、ちょっと小柄でてちてちと歩くその姿は、もう癒しでしかない(なんかの間違いで読まれたらどうしよう)。
その人を見かけると、心がパッと明るくなる。可愛い人の中でも、自分のタイプの人が目の前を通る、なんなら僕のことを認識して挨拶してくれるとなったら、もう有頂天である。あー幸せだったなあ。僕は単純でちょろい男である。
カフェに来るとやっぱり調子が整う。そしてやっぱり自分には「過集中」の時間が必要なのではないかと思い始めてきた。今も運営サイトの構築で1時間ぐらい何にも見向きもせずに周りが見えないぐらい集中していた。ちなみに今日はイヤホンを持ってきているけどつけていない。どうやら気分というものは、都合を知ったこっちゃないようだ。
夜になった。今日は18時以降はソーシャルメディアを見ないようにしてみようと思う。自分の時間を作ること、世界から距離を置いて自分だけの世界に入り込んでゆったりすること、そんなことができたらいいなと思う。
僕はだいぶ薄めに家でコーヒーを淹れる。12グラムの豆に対して250ミリリットルほぼのコップ9割ぐらいのお湯で抽出する。温度はご存知の通り80度。ほぼ白湯を飲んでいる感覚になるから、あまり濃すぎなくていい。そして豆は浅煎りが好きだ。
ソーシャルメディアを触らないとなると、かなり手持ち無沙汰になる。書くか読むか、ぐらいしかできないから、いつもの日々がどれだけ埋もれていたのかがわかる。
LINEはソーシャルメディアには入らないだろうと思いながら、今日のわんこの写真を母親に送る。そして、radikoも入らないだろうと思って、オールナイトニッポンを聴くためにタイムフリープランに登録した。月額620円で過去30日間の番組がアーカイブで聴き放題!なんて、なんて素晴らしいサブスクなんだと思った。この世界にあるサブスクの中で一番素敵なのではないか。2番目はSpotifyプレミアム、3番目はAmazonプライムだ。あ、2番目にポストコーヒーが食い込んでくるかも(二週に一回コーヒー豆がポストに届くサブスク)。
ANNのジングルを聴くと、一気に風呂上がりの気分になる。今聴いている回はたまたま星野源さんの誕生日の回で、このあと日村さんと作家の大倉さんがくるらしい。大倉さんて誰やねんと思いながら、流れてきた「SUN」を聴いて、ああ、こういう時間が一番いいんだよなあと、一人の夜を満喫する。本とラジオ。
星野源さんの語り部を何万人の人が同時に聞いているっていうのも、不思議な世界線だよなと思う。すごいなあともちろん思いつつ、そうなりたいなとちょっと思いつつ、でも無理だよななんて思いつつ、なに自分もなろうとしてるんだとツッコミを入れる。
なんだかんだで今使っているMacBookも長く使えているなあとふと思った。一年半ぐらいは使っているのではないだろうか。僕のモデルはMacBook Airである。つい最近まで、ガジェットハマり期間だったので、色々なものを入れ替えお金もたくさん使っていたのだが、このマックは生き残った。なんだかんだで、タイピングの心地がいいのと、iPhoneとの連携が便利だからかな。そろそろこのMacBookに名前をつけようか。
あ、ちょっと待って、星野源、45歳!?そんないってたのか、時は早いなあ。
あ、MacBookの名前ね。うーん、思いつかない。こういう時って、面白くしようとして、MacBookとしては不本意な名前をつけられがちな気がする。ちょっとどっちに転んでも滑りそうだから、やめとこ。
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