2026.02.19

そうだった。このエッセイのタイトルは「ただそれだけの練習」だった。色々とやりすぎるのは自分に良くないからと、過去の自分が手助けしてくれているキーワードだった。危うくいろんなことをやってしまうところだった。何事もシンプルにいこう。

恋愛系アカウントはとりあえず日々の発信をするだけ、ポッドキャストは今やっている3つだけ、そしてエッセイを書く。色々やっているじゃないかと思われるかもしれないが、続けていることなので、新しいことではない。これ以上増やすと、多分パンクするんだろうなと、昨日実感した。

昨日書いた「5秒日記」が夜に家の前に届いていた。僕は無性にスマホで写真を撮りたくなって、撮った。きっと、後でインスタにあげるため。

カフェから帰ってきたら、新しい装丁の自分のエッセイが届いていた。可愛い。可愛すぎる。ついでに名刺も届いた。僕のエッセイは、前の装丁はフィルムカメラで撮った写真を載せていたのだが、今回は色地に白文字、そして可愛いイラスト。シンプルだけどなんだか安定感があって、意外とないデザイン。自己出版って感じがするし、何より自分で作っているからか、愛着が湧く。

名刺はましかくの名刺にした。個人的にはこの「ましかく」というひらがな表記が大切で、角も丸くて本当に「ましかく」って感じだ。直接お会いした方に、これから渡そうと思う。

この前のポッドキャストで、このことを話したら、なよまるが「栞にもなるね!」と言っていたが、本当になりそう。なよまるの言葉を聞いた時は、「ほんとうか?」とちょっと疑っていたが、届いてみるとその栞っぽい感じがわかった。特に角丸なのがいいのかもしれない。本にフィットする感じがたまらない。

そういえば、朝は恋愛アカウントがどーたらって言っていたのか。実はあれから進展があった。

「3行小説」というものを書き始めた。恋愛アカウントでは、インスタのストーリーの質問箱機能で、皆さんからの恋日記を募っているのだが、それを1行目として借りて、2行足して小説にするというもの。これが意外と楽しい。小説は昔書いていて、すごくすごく苦手意識があったのだが、これならサクッとかけて続きそうと思って、嬉しい。それを、そのアカウントの公式サイトで発信することにした。

最近、部屋の家具の配置に納得がいっていない。なんかしっくりこない感じがして、それでも動かす気になれなくて、唸っている。文字通り、心の中でうんうんと唸っている。正しくは「うーんうーん」かもしれない。

特にケーブルたちが景観を崩している気がする。そんなの、ケーブルに失礼だろ!と心の中で叫んでいる天使の自分がいるのだが、邪魔なものは邪魔である。うわん、ひどい、と天使の自分が言う。

まとめてみるも、すぐにバラバラになる。まとまっている方ではあると思うが、多分自分が神経質かつ綺麗好きだからか、なんか落ち着かない。ダメもとで深呼吸とかしてみる。ちょっと落ち着く。

エッセイと日記の違いってなんだ?と疑問が湧いてきた。自分が書いているのはエッセイではなくて、日記なのでは?と思って、ちょっとだけ不安になる。いや、日記でも全然いいのだが、名刺にでかでかと「エッセイスト」とか書いてしまっている以上、エッセイを書かなくてはいけないんじゃないか!ひいいと心で叫びながら、調べた。

Googleの検索欄で、「エッセイと日記」まで打ったら、予測変換で「違い」とまで出てきて、みんなやっぱり気になるよなと思いながら、検索してみる。ふむふむと読んでみる。なになに、「日記は誰にも見せない『隠された場所』だが、エッセイは他者に見せる『舞台』」だそうだ。おお、舞台。舞台?舞台、かあ。でも人に見せているし、これはどうやら自分のはしっかりとしたエッセイじゃないか!と安心した。僕は最初からエッセイを書いていたらしい、えらいぞたけひろ。これで名刺に書いても恥ずかしくない「エッセイスト」だ。

mochiちゃんとのポッドキャスト「おっとっと、」も、さっくりと6回目の配信。やっぱりポッドキャストは続けやすい。そして、他の二つとはまた違った話ができるのが嬉しい。mochiちゃんと僕は、よく本を読むから、毎週新しい本が話題になる。それが嬉しい。

そして、mochiちゃんが僕のエッセイを読んだ感想をポッドキャストの中で話してくれた。嬉しかった。僕はエッセイの中だとふざけているらしい。普段はしっかりしているのに、エッセイではふざけているのを読んで、なんだか新鮮だったと言われた。嬉しい、嬉しい。そして多分、心の中にいる本当のたけひろは、エッセイの方である。喋っていると、あまり本性って出てこなくない?

夜にたまたま聞いたポッドキャストで、「This is I」というNetfllix配信の映画が紹介されていて、見てみた。でも、途中で辞めてしまった。性的マイノリティの方の話なのだが、形は違えど、僕もマイノリティとして生きてきて、その今までの自分の辛さがフラッシュバックして、見られなかった。

マイノリティの意見は、マイノリティにしかわからない。僕は自分の体に誇りを持っているし、足の障害を乗り越えてきた自負がある。だからこそ、その人の痛みを完全にわかることなんてできないと思うし、わからなくていいと思っている。マジョリティができることは、マイノリティを否定しないこと。そもそも、分けることすら間違っているのかもしれない。人は一人一人違うのだから。それでも、この映画で救われる人たちはたくさんいるのだろうなと思うと、本当に素敵なことだなと思う。ま、そんなクサいこと、自分の中だけにしか、隠しておかないけれどね。一番綺麗な心は、僕はそっとしまっておくのだ。

そう、感傷的で切ない感情なんて、自分の中だけにしまっておけばいい。優しい言葉なんて誰でもかけられるし、見てくれなんていくらでも偽れる。だから、僕はひょうきんでいたい。おちゃらけて、それでも芯の深いところでは優しさで溢れている、そんな人間になりたい。だから、うんこと言い続ける。(おい無理すんな)


こいずみたけひろをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

面白かったら、おすそわけしてねん〜