なんだかんだで自分は幸せになるんだろうなと思う。突然どうしたと思うかもしれないが、今日の朝の自分が偉すぎて、カフェからの帰り道に「こんないいやつが幸せにならないわけがない」と思っていた。だからどうしたんだと聞きたくなるだろう。まあそんな大したことではないのだけれど。
このエッセイの前の本に書いた気がするのだけれど、八百屋さんに感謝を伝えようと決めて歩き出した日があった。実は、書いていなかったが、結局その日は、レジに店主さんがいなくて伝えることはできなかったのだ。それで、今日やっと言えたという話。
八百屋に行き始めてから、野菜のおいしさに気づいたこと、そして自炊が楽しくなったこと。勇気を出して、少しはにかみながら、今日レジで店主さんに伝えてみた。いや、あの人が店主さんなんかわからないけれど、多分それっぽい雰囲気はある。まあそんなことは今はどうでもいい。
感謝を伝えると、店主さんらしき人は眠そうに返事をしてくれた。その後に、「料理好きなんですか?」と聞かれ、僕は「ここの野菜に出会って、好きになりました。」と言った。大袈裟ではなくて、本当にそうだから、言えた。すると店主さんらしき人は、「またまた、腕がいいから」と言って、自身の左手を叩いてみせた。
その時は僕も照れていて、ええありがとうございますとかなんとか言って、店を出たけれど、後々振り返ると僕のことも褒めてくれたんだと気づいて、なんだか嬉しくなった。
そうだから、感謝をしっかりと伝えられる僕だから、絶対幸せになるよねという話。ああ、きっとそうだ。
帰り道に、BUMP OF CHICKENが急に聞きたくなって、「天体観測」をイヤホンで流して帰った。懐かしさで死にそうだった。今も帰ってきてから家で聞いているのだけど、本当に懐かしさで死にそうだ。まだ、さっき伝えた感謝の照れで、胸の辺りが熱い。
午後になって、久しぶりの友達に会うためにまた違うカフェに行った。その子は手仕事や習字などが好きな子で、感覚的に生きていて素敵。
すごく記憶に残っているのが、その子がレジのところにディスプレイされているケーキを、パタパタと見に行った後ろ姿。なんだか気が抜けていて、力が抜けていて、ほっとしたことを覚えている。なんで記憶に残ったのかはわからないけれど、ちょっとした仕草でその人のことを素敵だなと思うことは、いいなと思う。
その子が、僕にと言って、赤色の箸を一膳買ってきてくれた。僕っぽいなと思って買ってくれたと言って、少し驚いた。僕は自分自身のことを水色とか紫とか、そういう色だと思っているから、赤色と言われた時に、意外で驚いでしまった。
ソーシャルメディアとの距離もなんとなく掴めてきた気がする。
きっと僕は色々やりすぎていたのだろうなと思った。インスタもYouTubeもポッドキャストも、全部やっているのがよくないのだなと思った。だから、自分に必要なことにちゃんと向き合うことをしようと思って、使うアカウントを減らしている。
小さな画面に向き合っていると、何を書いていいのかわからなくなってくる気がするというか、そこに集中してしまって、書く気力を吸い取られてしまう気がする。
今日初めて、洗い物がめんどくさいと思った。洗い物は家事の中でも結構好きな方で、温かいお湯で洗っていると気持ちがいい。でも今日はなんだかめんどくさかった。なんでなのかはわからないけれど、晩ご飯を食べてすぐに一時間ぐらい寝てしまった。
最近人見知りになった気がする。人と会うと、基本的に何を話していいのかわからない。不器用になったからなのか、文章で気持ちを伝える時間が多いからなのか、会って話すと、きょどる。今日も久しぶりの友達で、緊張する友達でもないのに、なぜか終始何を話していいかわからなくなっていた。
何を話していいかわからない。一緒にいることはいいのだけれど、ずっと話すことがキツくなっている気がする。他愛もない話をしていいのかとか、最近ハマっていることあるかとか聞きたかったのだけれど、勝手に話は深まってしまうばかりだ。最近コーヒーにハマっているとか、そういうくだらない話の方が、僕は心地がいいのかな。そういう話ができる人と、何気なく会いたい。セカンズの話をしたい。
五感を刺激しないと生きていけないことから、脱却しなければ。そろそろ何か音楽を流していないと落ち着かない生活から抜け出さなければ。現代病になりすぎている。慌てて音楽を消した。
音を消すと、自分の輪郭がはっきりする。エアコンの音がしているのが、寝ている時は気になるのに、こうして生活している時はむしろ心地がいい。考えることもできるし、本を読むこともできるし、書くこともできる。意外と耳を酷使していたことに、気づいていなかったのかもしれない。
3行日記を始めた。noteを辞めてから読む専で新しいアカウントを作ったのだけれど、そこで3行日記をつけている素敵な方の記事を見つけて、読みやすくて手軽でいいなと思って、丸パクリさせてもらった。何事もパクリから始まる、きっとそうだ。
ゴシック体で文章が整えられているエッセイを読んで、あ、これいいなと思って真似した。ヒラギノ明朝から、ヒラギノ角ゴへ。角ゴの変換がうまくできなくて、「覚悟」が出てきた。何も覚悟していないのに。
なぜか出版関係のことや3月8日のZINEフェスの準備が一気に進んだ。こういう急に何か整えたくなる時間がたまにある。僕はそれをフィーバータイムと読んでいる。今回のジンフェス(ZINEと打つのがめんどいのでこれからこれね)は、ちょっと世界観をしっかり作ろうと思って、木目調で美品を揃えてみた。そして、新しく自己紹介パネルを作ってみたり、名刺を作ってみたりなどしてみた。なんだかワクワクして、お祭りみたい。あ、未来のジンフェスでこのエッセイを買ってくださり、そして今読んでいただいている方、時を超えてこんにちは。僕は今元気です。あはあは。
本のサイズを今回からちょっとだけ大きくしてみていて、文字量も増えているから、果たしてこの本は間に合うのかという不安に駆られている。(いろいろ考えて次の日にサイズはいつも通りのサイズにしております。)
いや、やるんだ、やるんだこいずみ、お前ならできるぞ。未来のジンフェスで、きっと素敵な人が手に取ってくれるんだ。
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