また変な夢を見た。変というか、心に残る。今の自分の弱みを指摘されるような、孤独を突きつけられるような、そんな夢。誰とも繋がれない、自分が誰かを突き飛ばしてしまう夢。
友達は少なくていいとは言ったものの、少なくなって感じることは、やっぱり寂しいということ。
朝になった。わんこを撫でていると、全てがどうでも良くなって、なんとなく今日もこれでいいかと心の中で呟く。最近はわんこのルーティンもわかってきて、前までご飯を食べなかったら怒っていたのが懐かしい。わんこもなんで怒られているのか、きっとわからなかっただろう。
haruka nakamuraさんが蔦屋書店の音楽を手掛けていることを初めて知った。しかもアルバムにまとめられていて、Spotifyでいつでも聴けるなんて、贅沢だなと思いながら、最近聴いている。もともとはインスタの音源でピアノを探すときによく出てきていた方だったが、その音楽の静けさに興味が湧いて、いつのまにかSpotifyのアーティストページに飛んでいた。
カフェに来たら気分が上がっていた。正確にいうと、行きのエレベーターを待っている時に、なんだか気持ちが晴れてきた!と思った。人間は単純である。
前まで聴いていたポッドキャストを久しぶりに聴いた。漢字変換が面倒くさいので、ポッドキャスト名は言わないが、男性アーティスト二人が話しているやつ。結構面白くて、真髄をついた話を軽快にしてくれるから、たまに聴いている。今日は「勝つために生きると詰むから、勝手に生きる。」だった。タイトルを覚えているぐらいには面白かった。
隣の海外の方がサラダボウルを机の上に乗せている。きっと頼んだのだろう。サラダボウルなんかあったんだと、心の中で言って、このエッセイに書いている。サラダボウル、二人のイケメンが食べている。なんだかかっこいいなと思う。でも、本を3冊のっけてホットコーヒーで物書きしている自分も、きっとかっこいい。
目の前にいる女性が、ニコニコしながらパンを食べている。なんだかこっちまで幸せになる。きっと面白いポッドキャストでも聴いているのだろう。もしや?と少しだけ運命を感じてみる。
ハンバートハンバートが久しぶりに流れてきた。最近はもっぱらピアノ音楽ばかり聴いていたから、歌詞が入っている曲を聴くことがなかった。気分が落ちていると、歌詞が入ったものとか、少し騒がしいものを見たり聴いたりできなくなる。自然と聞くことができるようになったのは、気分が元通りになったからだろう。目の前の女性が、隣のお婆さんと笑いながら話している。きっとこの人はとんでもなくいい人なのだろうなと思う。僕もそっと微笑んで、ホットコーヒーを飲んでみる。溢さないように、ガッチリと両手でホールドして。
なんか全てがどうでも良くなっている気がする。いい意味で。というか、どうでも良くなくしているのは自分なんだよなと思う。承認欲求のままにインスタを動かし、注目されないと何かが満たされないあの感じ。それに呑まれているのは紛れもない自分のせいな気がする。かといって、それ以外のことをする気力も体力もアイデアもないから、ただ書くことに逃げている。いや、逃げているという言い方は、なんか違うな。でも救われている。
もっと力を抜いて、うちのわんこのように生きたい。うちのわんこは、ヒーターで寝ること、僕の枕の上で寝ること、僕がいつも食べている蒸籠のおこぼれ、毎日ルートが変わらない散歩、などを楽しみにきっと生きている。本当にすごいなと思う。
そして、何気ない表情ひとつで、気分が落ちている僕という人間を笑顔にすることができる。ちなみに、散歩している時も道ゆく人たちを笑顔にしている。すごい、すごすぎて、訳がわからない。生後8ヶ月。
そうだ、10日にうちのわんこは8ヶ月になったんだ。お祝いするのを忘れたから、今日帰ったら何かお菓子を作ろう。
カフェから帰ってきて、ゆっくりと散歩して、今はテラスでのんびりしている。気分は天気にも左右されると言うが、どうやら本当らしい。今日は晴れているから、気分がいいのと、だんだんと暖かくなってきたこともあるかもしれない。春が恋しい。
テラスでのんびりとエッセイを書いていると、ああ、今日も生きているなあと、何気なく思う。空を見上げればいつも通りの画角の空とマンション2つ。左を見ればわんこが部屋の中で遊んでいる。平和な日常。すっきりとしたコーヒーも、欠かせない。
何かを目的にすることをやめようと思う。このエッセイは「ただそれだけの練習」だし、行動ごとに何かを決めてやることはどうしても窮屈が伴う。僕なんて、別に何もしなくていいのに、何かをやろうとしている時点で、進んでいるのに、さらに目的なんぞを決めてしまったら、壊れてしまう気がする。だから、何かを目的にするのをやめようと思う。本が読みたかったら、ただ本を読む、コーヒーを淹れたかったら、ただコーヒーを淹れる、飲むかどうかは分からないが、ただ淹れる。ただ、それだけのことの練習だ。
ちょっと楽しみな予定とか、楽しみなことを発信する時の文章には、決まって絵文字をつけるようにしている。ちょっとしたことなのだけど、毎回iPhoneの絵文字からどれにしようかなと選ぶのが楽しい。そして、見返したときにちょっとだけ笑顔になる。
モチちゃんとのポッドキャストで、頼られることって嬉しいよねという話が出た。僕はあまり頼るのが上手くない。でもだからこそ、頼ることのハードルが高いことを知っているから、頼られたら嬉しい。頼るっていうのは、なんか雑務とかそういうものではなくて、もうどうしようもないからなんとかして!慰めて褒めてここにいて!みたいな頼られ方が嬉しいなと思った。
これでいいのかなみたいな、手探りでみんな生きているんだなと思った。これで出版に繋がるのかな、これで有名になれるのかなとか、そういうことは気にしたくないけれど、日々活動しているとひょっこりと顔を出してくる。なんとまあ、迷惑な感情だ。そういうことを考え出すと、もうダメで。地の底まで気分が落ちないとなかなか浮上しない。まあいっか、なんて言ってアイスを食べ始められたらいいのだけれど、あいにくうちには、すぐに食べられるものと言ったらたくあんぐらいしかない。あ、母からのチョコがあった。
そういえば明日はバレンタイン。特に人と会う予定はないから、きっと何も貰わないだろう。母からもらえたから、僕はそれで十分満足している。なんだかんだで、ほぼ毎年母からしかもらっていない気がする。でも、それを大切に食べている自分が、なんだか可愛いし、誇りに思う。
