とある作家さんのエッセイの中で、「まだ名前のついていない感情に名前をつけるのが、アーティスト。」と言っていた。僕は心の中で、おー!と思いながら、もしかしてこの、おー!は名前のついていない感情なのではないか?みたいな分析をして、そんな自分を自分で冷めた目で見ていた。あ、つまりはその言葉に納得して、たしかにと思ったところだ。
その人の小説を、今アマゾネスでポチった。あ、Amazonのことだ。名前のない何かを探そうと言葉で遊んでしまってすまない。なぜなら僕は、アーティストだか、、、ら。いえ、普通の人間です。
カフェから帰ってきて、お昼を作った後に、何気なくベッドに寝転びながら、わんこをお腹の上に乗せたら、暖かくて心地が良くて、そのまま30分ぐらい、ぼーっとしていた。わんこも僕の心臓の音を聞いているのか、胸の辺りに顎を乗せて、寝ていた。
ベッドから起き上がると、意識がはっきりとしてきて、なんだか動く気が起きて、サボテンに水をやった。カーテンのレースがやけにキラキラして見えて、なんだか不思議だった。
目がとろんとしてきて、眠くなる。わんこと散歩にそろそろ行こうかと思っていたけれど、どうやら昼寝の方がいい気がしてきた。Spotifyでピアノを流していると、決まって眠くなる。わんこはパソコンの足元で、カーテンの下から、窓辺で外をずっと見ている。飽きずに、飽きずに、ずっと見ている。
夕方になって、今日もパンを作った。米粉で色々混ぜて、また電子レンジで。今日は水分量が足りなかったらしく、めちゃくちゃ硬く仕上がってしまった。それでも味は美味しくて、蜂蜜を入れたのが正解だった。
なんだかんだで料理も続いているなあと思う。年明ける前からやってたっけ。だとしたら二ヶ月ぐらい、外食なしで生きているのは、少し前の自分からしたらものすごいことだ。本当に本当に、ものすごいことだ。
美味しそうにできることも嬉しいし、それを実際に食べられるという、当たり前だけど気分が上がる。
ピアノの音楽を聴きたい時と、聴かなくてもいいかと思う時がある。今は「聴かなくていい時」。なんとなく見ているyoutubeを流しながら、のんびりと過ごしている。スーパーに買い物に行こうか、ちょっと前まで迷っていたが、この感じだと今日は行かない気がする。
原田マハさんの「さいはての彼女」の一編を読んだ。
表題の一編で、すなわちこの本は短編集ということに、その一編が終わった後に気づいて、少しだけ嬉しくなった。
僕はもともと、本を読むことが苦手だった。ずっとずっと、苦手だった。なんでかはわからないが、なんだか意味がないと思っていた。随分と、随分と長い間。
それが、26歳の夏に、地元の図書館に行って、原田マハさんの「あなたは誰かの大切な人」という短編に出会って、世界が変わった。
原田マハさんの優しい文体。過去に視点を置いた描写が多いことから、自然と自分や家族に重ねることができた。もちろん、文章にものめり込んで、気づいたら図書館で泣いていた。
誰かの本を読む時、それが近しい人であればあるほど、僕は緊張する。例えば知り合いの本。知っているからこそ、知りたくないところもある。原田マハさんは、全然僕とは別の世界で生きているにも関わらず、その本に出てくる文章は、そっと僕の心の隣にいてくれて、不思議な緊張をもたらしてくれる。そして、ハラハラして、ワクワクして、最後にはそっと、優しさで包んでくれる。
「さいはての彼女」も、同じだった。原田マハさんの小説は、孤独から始まることが多い。でも最後は、孤独ではなくなっていて、感じていた孤独は過去の花になっている。
リズムよく読むことができるのは、そのことが、僕の今までの人生と、似ているからかな。
手挽きのコーヒーミルを買ったのだが、全然使っていない。多分面倒くさいからだということにしておこう。
知り合いの花屋さんが雑誌に出ていて、そこでオーナーの方が、「花は自分自身の心の状態を表している気がするんです。水やりを忘れると枯れてしまう。水やりを忘れるということは、生活に余白がなくなっているということ。そんなことを花から、感じています。」と言っていて、それが妙に印象に残っていて、僕は余白がなくても、無理やり花の水を変えるようになった。レンジでチンを待っている間に、三つある花瓶を台所でじゃぶじゃぶする。きっと、その花屋さんはそういうことを言いたくて、そのインタビューに答えたわけではないと思う。
昔から見え張りで、かっこいいものとかセンスのいいものとか、そういうものに飛びつきがちだった。もちろん今もそうなのだが、最近は自分がいいものかどうかを、自分で考えて感じて、決めることができるようになったと思う。
世間は小説を推しているけれど、自分は頑なにエッセイをメインで読んでいるし、人気作家は毛色が合わないと、敬遠している。テレビは見ない。YouTubeで見ている人は、だいたい登録者3万人ぐらいの人たちばっか。
はみ出ている、という言い方をするならそうなるかもしれない。でも、そもそも誰一人として、同じ枠で括れる人はいないんじゃないかな。
そんなことを思った今日、花を枯らしてしまった。明日、また新しい花を、買いに行こう。