一月も今日で終わりかと、思ってはみたもののあまり実感のないまま今日もまた夜に起きた。
朝になって、夢に出てきたクリームスープが忘れられなくて作ることにした。どうやら、牛乳に塩コショウとコンソメを入れればスープはできるらしい。コンソメはないけど作ってみようと思って、作った。にんじん、じゃがいも、ブロッコリー、舞茸を入れて。コンソメがないからちょっと味はホットミルクに近かったけど、なんだか懐かしい味がした。今日は家にいたいなと、思った。
啓成くんの今週のnoteがすごく新鮮な視点を気づかせてくれて、今日も生きようとなった。確かに生まれた時の感覚は覚えていないし、まだ曖昧だった呼吸器で必死に生きてここまできた。初めて空気に触れた感覚、音を聞いた感覚、それをいつか味わいたいなと思った。僕らはいつだって、最初を忘れてしまう。時間が過ぎれば過ぎるほど、僕らは良くも悪くも進んでしまう。
こういう日があってもいいなと思った。もうすぐ3時ぐらいになる。僕はまだ寝ぼけている。わんこと散歩に行かなきゃと心の中で思っていても、体が動かない。部屋の中を無音にしてみて、パソコンを叩く音だけにしてみる。心が、体が、静かな空気を求めていたことに気づく。ヒーターの前で寝ているわんこは、何も音を立てない。エアコンの空気だけが部屋の中に響いている。
もう直ぐ陽が沈むことが、妙に違和感で、残っているコーヒーを喉に流し込む。外をみると好きな色の空が広がっていて、今日が休みの日だということに気がつく。そうやって日を数えるように生きている。
わんこと散歩に行き、今はいつものパン屋のテラス席にいる。短パンのランナーを横目に、よく走るなあなんて思いながら、群ようこさんの「忘れながら生きる」を読み始める。備忘録みたいで、自分と似ているなと思った。
パン屋は、土日になると混むので、大体は店内の席に入れずテラスに座る。僕は元々の体温が高いので、体が起きて仕舞えば寒さをあまり感じないから、テラスに座っていても気持ちがいい。今日は指先もあまり冷えずに、文字を打てている。
17時になろうとしている。この時間の空が好きで、いつも見惚れてしまう。広がる空と、雑多なビル群。僕はそういう、ちんぷんかんぷんなところが、東京の好きなところだ。人間らしい。派手な広告、解像度が粗い選挙ポスター。完璧に見える東京の中に、一つとして完璧なものはない。でも、自分の心も完璧ではないからこそ、こうして東京で息が吸えている。
帰りに八百屋に行こうか、花屋に行こうか迷っている。八百屋で野菜を買って、今日の蒸籠は野菜を敷き詰めたいと思ったり、そろそろ部屋の中のディスパッドとカスミソウの元気がなくなってきたから、新しい花と出会いたいなと思ったり。コーヒーが飲み終わるまでに決めなければいけないと考えながら書いていたら、小さな袋を持った子供たちを連れた親子がパン屋から出てきた。一人の女の子はズボンに上の服を入れて、腹巻きのようにして、おやじみたいだった。そして、今日は八百屋に行こうと思った。