久しぶりにカフェに来ている。と言っても一日ぶりとかか。なんとなく選んだ席に、窓から冷たい風が吹き込んできている。背中が冷たいのが、僕の目をだんだんと覚ましてくれる。
本を二冊持ってきたが、少し読んで読むのをやめた。そして、書こうと思った。と思って書き出したら、食パンプレートが運ばれてきた。待ってました。
目玉焼きがうまく食べれなかった。ナイフがあったので、添えてあるベーコンと目玉焼きを同時に食べて、美味しくしようとしたら、フォークが上手く刺さらず、ずらしたら崩れた。それでも目玉焼きの美味しさは何も変わらないから、すごいなあと一人で感心しながらいただいた。
ふと、流れている洋楽を聴いて思った。これを歌っている海外の方たちは、幸せなのか。それは疑問ではなくて、幸せなことを前提とした興味である。よく海外のセレブの方々が、クラブなどで盛り上がっているのを映像で見る。それをみて、僕は微笑ましくなる。幸せにいろんな形があって、それが世界中で起こっているなんて、すごいことじゃないか。だから、みんな幸せであってほしいと願っての興味だ。僕とはまた違う幸せ、どんな感覚なんだろう。もし知ることができるのなら、感じることが出来るのなら、夢の中で見せておくれ。
カフェでエッセイが書き終わったら、八百屋に行こうと思う。僕はいつもこのパン屋の帰りにスーパーか八百屋を選んでどちらかに行って買い物をする。今日はなんだか八百屋の気分だ。さらにいつもと違うのは、今日は八百屋のおじさんに感謝の言葉を伝えたくなっているということだ。
八百屋に出会ってから、そこに買い物に行くのも料理をするのも楽しくなった。腰を屈めながら仕入や陳列をしている姿、そしてその野菜たちは農家さんたちの手で、愛されて育ったもの。それをいただけるというのは、当たり前のことではないし、本当にお金だけでいいのかと思ってしまう。
だから、今日は感謝の言葉を伝えようと思う。これを書いてから、より気持ちが強まった。もちろんちょっぴり恥ずかしいし、緊張する。でも、伝えなきゃ。
午後の3時になった。正露を平らげわんこと散歩に行き、のほほんとベランダでアイスコーヒーを飲みながら、さくらももこの「もものかんづめ」を読んで爆笑している。ふと見上げた空の雲が、筋になっていて、僕のことを見ている気がした。
今日は冷たい飲み物がいいと思い、アイスコーヒーにした。今週からめっきり冷え込むという予報はどこへやら、という暖かさで、今もスウェットでベランダにいる。ゆるい音楽をかけて、過ごす午後下りの時間。この後は、さっきダウンロードで買った「あつまれどうぶつの森」をのんびりとやる予定だ。
昔買った詩集を思い出して、今日の朝引っ張り出してきて読んだ。ハードカバーで文庫本サイズのその詩集は、深呼吸が何回もできる僕のお気に入りだ。読み始めると、文字から空間が広がり、ゆっくりと時間が流れる。
お香も同じようなことが起こる。色々なお香の匂い、その数だけ世界があり、空気の流れに乗って、僕の鼻から染める。匂いに染まる、そんな感覚が好きだ。ベランダの風はお香たての方から僕の方へ吹いているため、匂いがすごく感じられる。
ゲームをしていると、現実世界とゲームの中の世界の境界線が曖昧になってきて、どちらを生きているのかわからなくなる。ポケモンをしていると、1時間もすれば僕はポケモンの世界に溶けて、ゲームの電源を切った時に、生きているってなんだっけ?となる。陽の光や流れている映像がなんだかゆっくりに見えて、現実なのに現実味がなくなる。不思議だ。
本当に僕が生きている世界は、宇宙の米粒なのかが気になる。もしかしたら宇宙の全てなのではないかと思うほど、当たり前だけど僕は僕以外の感覚を経験したことがない。他の物に囲まれて、一つとして自分と同じものはないのに、自分以外の物のことは全てわからない。なんだか、コーヒーの湯気を見て不思議な気持ちになる。