久しぶりに深夜に目が覚めた。最近は早く寝ることが多くて、2時ぐらいに目が覚めることがある。今日もそういう日らしい。今日は年始営業がいつものカフェで始まるから、また変わらない日々がスタートする。サーモスのティーポッドに入った中国茶がまだ暖かいことに驚く。
深夜に洗い物をするのが好き。なんだか得した気分になる。僕は洗い物は拭かないで自然乾燥派なので、朝に乾いているのがいい。YouTubeで旅系の動画を流しながら、音声だけで想像して旅を味わうのが日課だ。
3時半ぐらいまで起きて、その後に寝た。今はわんこの散歩が終わって、家でゆっくりしている。今日からカフェが開くので、お昼ぐらいに行こうと思う。
うちのわんこはめちゃくちゃ上品で、ちゃんと噛んでご飯を食べる。今のところ20分は飯と向き合っている。口に入れては寝ながら食べて、噛んで。それを繰り返している。食べている時に邪魔をしたり気を逸らしたりすると食べなくなるので、今は横に座ってこれを書いている。たまにこっちを向くので、その時に「ん~おいしいねえ、食べてえらいねえ!」ということも強いられている。いや、言わせてください幸せです。
膝のサポーターとグルコサミンを買った。僕は元々足が悪くて、膝に負担がかかる歩き方を幼少期からしている。生まれつきの難病だ。ついに言われていた膝が痛くなる時が来て、もう来たか~と思いながら買った。でもグルコサミンってすごいのね、なんだか楽になった感覚があって、効果を感じている。病気の末梢神経系にも効くのかな。わんこはまだご飯を食べている、ちゃんと噛んでえらいぞ。
カフェに来た。小川糸さんの「たそがれビール」を読んでいて、エッセイって本当に感触があるというか、その人によって醸し出している雰囲気が文から伝わってくるなあと思う。小川糸さんの本は、なんだか柔らかいというか、海外の話が多いのだけど、どこか近所で起こっているような気持ちになる。
自分のエッセイにも色や感触があると思っていて、小川糸さんとかなり似ていると感じた。ちょっと柔らかな助詞の使い方とか、あまり面白くしようとせずに、日々を丁寧に切り取る感じとか。ちょっとシンパシーを感じた。
やっぱり家で淹れるコーヒーは美味しく淹れられているのだなと思った。カフェのコーヒーを飲んで、意外と家で飲んでいるコーヒーの方が美味しいなと思った。でもコーヒーは飲んだら落ち着く飲み物だから、なんでもいいのだけれど。
江國香織さんの「雨はコーラがのめない」というエッセイも持ってきている。これは「雨」というわんこと香織さんの話が中心。読んでいると、どこもやっぱり同じなのだなと思う。なんだか自分と同じ人がいるみたいで不思議になった。わかるわかる、と頷きながら読むのが好き。
街の明るさが戻ってきた。今日から動き始める人が多いみたいだ。明らかに雰囲気が違う。今日から近くのスーパーが多分空いている。これは多分であって、確認してはいない。ホームページがないスーパーなので、三が日はやっていないと踏んで、今日から行ってみる。
スーパーで紅茶を買ってみた。20個ぐらい入っていて120円とかだった。やっすと思って買って、今飲んでいる。美味しい。紅茶って今まで砂糖を入れて飲んでいたけど、入れないで飲んだら結構茶葉の味がしっかりとして好きかもしれない。お茶ともコーヒーとも違う、新しい味わい。ちょっとすっきりしたいけど、静かな感じで飲みたい時に最適だなと思った。
サーモスのティーポットは本当に買ってよかった。しっかりと保温してくれる感じがたまらない。佇まいがもう、「私に任せなさい」って感じですき。僕が選んだのは淡い黄色で、ちょっと可愛い感じなので、仕事ができる20代中盤の文化系の女性だな。そんなことを考えていたら、なんだかまた愛着が湧いてきた。
玄関のあるストロメリアが咲いてきて可愛い。うちに来たときはピンク色の花を咲かせてやってきたのだが、蕾は白の花を隠していた。なんだ、そんなロマンチックなことしてくれちゃうの?と思って、ちょっとときめいた。お世話になっている花屋は、明日に開くから、行こうかな。ディスパートちゃんがちょっと弱ってきている。でも「私はまだまだいけるわ」と言わんばかりに見つめられている気がする。こっちは60代ぐらいのお金持ちのおばあちゃん、派手なアクセサリーをつけている感じで、あまり喋らないけど意思は強い感じ。
エッセイは読み進めていくにつれて感情がどんどん移り変わるから、タイトルを読んでちょっと読むのが怖くなることがある。ちょうど今、瀬尾まいこさんの「見えない誰かと」を読んでいて、ちょっと暗そうなタイトルがあったのだが、瀬尾さんは暖かく展開してくれて安心した。悲しみや苦しみに触れたくないわけではないが、その感情を面白おかしく消化している姿に僕はちょっと勇気づけられる感覚がある。
なんとなく、部屋の電気を消してみた。窓を開けて、外の音を聞いている。なんだか洗練ではない、違う感情が今ある。それは爽快感とも違う。しんとしている。パソコンのタイピングの音だけが響いている世界。なんだか久しぶりにゆっくりした時間を味わっている気がする。テレビの動画の音も消した。そういえば現像の啓成くんは暗い部屋が好きだったとポッドキャストで言っていた。気持ちわかるなあ。昼間は体の中がちょっとうるさいから外は静かにしたい、夜間は体の中が静まるから外はうるさくあってほしい。そんなことを思った。
2ヶ月経ったいまも、絶縁した友人のことを思い出す。自分が悪いことをしたのではないかとか、そういうことを考えてしまうのと、その友人がしていることが憎いと思う時間などが、たまにある。お金関係で揉めているから、いざとなったらとは思っているが、そこまでして傷つけるほどの相手なのかもわからない。なんだか時折記憶に混ざってきて、うざったらしい。
意外と人は何かをしていると何を考えていたかなんてすぐに忘れるのだなと思った。何時間か経った今、何もムカついていない自分に驚く。今日もAmazonの荷物が届いた。なんか段ボールアレルギーなのか、ダンボールを触っていると乾燥するというか痒くなる感じがある。僕にとって寒さよりも乾燥が敵になってきている感じ、大人になったのかな。
ブルーノのマグカップを買ったのだが、保温性能が高すぎて淹れたお茶が熱いままでなかなか飲めない。だからいまパソコンに向かい始めた。家事をしていたら午前中が終わっていたと、昔に友達から聞いたとき、何を言っているんだろう、そんなわけないのにとか思っていたけど、ちゃんと家事をするようになって、あ、マジだと思った。午前中どころか僕は一日が終わる。とほほ。
お茶漬けを久しぶりに食べたいなあ。いまYouTubeを見て思った。僕が小さい頃、ぐずってあまり朝ごはんを食べなかった時に、よく母がお茶漬けを出してくれていたな。あのお茶漬けは永谷園の普通のやつだったけど、なんか僕が作るのとは違う味がした。
いろんな直感に従ってきたから、今があるんだよななんて、ちょっといけすかないことを考えた。あの時、あの友達と別れていなかったら、あの時ペットショップに行っていなかったら、今我が家にいるわんこには出会えていない。そう考えたら、今ちょっと嫌なことなんて、未来で幸せになって全部回収されるんだよな。そんなことを考えながらそっとわんこに目をやると、相変わらずヒーターの前で寝ていた。
パソコンを膝の上に乗せてタイピングするという技を身につけた。なぜか膝に乗せたら半角になるというおまけ付きだ。背もたれに寄りかかりながら書けるのはすごくいい。リラックスして自由に書いている感じがして、飛んでいるような気分だ。僕は書いている時、落書きしている感覚と同じ気持ちになる。いや、もっと気持ちがいいかもしれない。何を書いてもいいというこの自己出版の強み。読んでいる人のことよりも、残すことに意識が勝手に向くようになったのはいいことなのかもしれない。今の時代を見ていると、誰もが何かの答えを出そうとしている感じがして、なんだか薄っぺらく見えてしまう。.bn0vvb0b:///:____ すまない、わんこがパソコンの上に乗ってきた。まあ、そんな綺麗なこと言わないでいいだろうと言いにきたのかもしれない。僕はわんこのことをたまに、うんちぶりぶりくんと呼んでいる。最近はあまり振り向いてくれなくなった。
そういえばうちのわんこが僕のベッドでおしっこを覚えた。普通にトイレがどこかはわかっているはずだから、匂いをつけたいんだろうなと思う。まあそう考えたら自分の家だと思っているのかな。そう思ったらなんか嬉しくなってくる自分は、変わっているなと思う。家族だからなのか、汚いとかは思わない。
改めて自分のエッセイを読んで、感情を記録していることはいいなと思った。あの時そんなことを考えていたのかと、なんとなく思い出せるのと、新しい発見もある。
今日届いたボディークリームがいい匂いすぎて機嫌がいい。今日はとんでもなく長くエッセイを書いていて、もう4000字ぐらい書いている。これとラジオとyoutubeもやっているから、僕は話すことが好きなのだなとつくづく思う。最寄りから全く出ない超絶インドアなのに。暮らしの中でときめきを見つけることが上手いのかな。てへ。