Day 13

昨日、「雨が降るから、今日は休もう。」のラジオを収録してすぐに、寝落ちした。気づいたらわんこが隣にそっと寝ていた。幸せだなと、起きた時に思った。わんこはお気に入りの場所として、僕のベッドの下の簡易ベッドの上というところがあるのに、毎日そっと僕の隣に来て寝てくれる。可愛い。愛おしい。

朝、ゆっくり過ごすことができるとだいぶ心が豊かになるなと思った。近くのスーパーが10時からなので、8時半にカフェに行くとちょっと早いなと思い、今日は9時ちょっと過ぎからいる。急いでいるわけではないが、なんか早く行かないといけないみたいな焦燥感があった気がする。今日はゆっくり、わんこと散歩して、スムージーとかを作って、わんこがご飯を食べるのを見守って、カフェに来た。だいぶ機嫌がいい。しっとりとした時間が流れている。もしかしたら、今日が雨上がりだからかもしれない。雨が降った後の日は、湿気もちょうど良くて、空気も気持ちがいい気がする。

もうすぐ年末。ラジオも8月から続いていてすごいなと思った。なんとなく始めたことがここまで続いているって、なんか感動。昨日はやりきった感じがすごくて、寝落ちしたのかな。結構やりきった~っていう気持ちが湧いてきて、すごく嬉しかった。

くどうれいんさんのエッセイが、すごく面白くて読みやすい。さくらももこさんのエッセイも好きなのだが、ちょっと個人名がたくさん出てくるからあまり読んでいなかったのだが、くどうさんのエッセイは「新幹線が早すぎる」とかそういう一般的なところを面白くしてくれるからありがたい。読みやすい。

明日、久しぶりに会う友達がいるのだが、ちょっと楽しみ。その子は結婚していて、いつも夫の話をnoteにエッセイとして書いていて、平和ですごく素敵。インスタを見る限り、すごく落ち着いて生活しているから、波長も合うのではないかと期待している。とりあえず、文章を読んだ感想を伝えようと思う。

これから、エッセイを買いに本屋に行こうと思う。Amazonで頼んだエッセイは5冊ぐらい今日届くのだが、待ちきれなくて、2冊ぐらい本屋で買ってすぐにカフェで読もうと思う。僕は本当に待ちきれない性格だ。

本屋の帰りに、前にお世話になっていたワーキングスペースに行った。年末の挨拶に。スタッフで入っている人たちが大体同い年なので、知り合いばかり。ちょっとおしゃべりに来ているずるい人は僕である。

ちょうど最近会っていなかった男友達がいて、10月に結婚したんだよということを話していて、なんと!と思った。あ、思ったし言った。その子は結婚していいことがあったわ!と意気揚々と言った後に、「何も変わらなかったわ。」と言い放っていた。僕は思わず、「はぁ。」と言った。ただ、苗字は特殊な変え方をしていた。

その子のおばあちゃんの苗字に、夫婦で変えたらしい。だから、その子の苗字でもなくて、奥さんの苗字でもなくて、母方の祖父母のの苗字になったらしい。めっずらし。いや、めっずらし。だから母親の兄弟になったんだとか言っていて、なんかそれは違くないかと思った。まあでも、母方の祖父母の苗字がすごく思い入れと伝統のあるものらしく、独り身でもその苗字に変えようと思っていたらしい。めっずらし。

なんだかんだで結婚にも色々な形があっていいなと思う。そして、その形を受け入れることができる自分もなんだか素敵だなと、ワーキングスペースからの帰り道に戻った。

またさっきのカフェに戻って、本を開ける。買ったのはくどうれいんさんの「うたうおばけ」と、「虎のたましい人魚の涙」、どちらもエッセイで、あとは三浦しをんさんの「好きになってしまいました。」これもエッセイである。Amazonでは頼んでいない本がちょうど並んでいて、嬉しかった。

あと、瀬尾まいこさんを見つけて、そういえばなよまるが好きだと言っていた作家さんだったなと思い出して、エッセイを探してみた。でもなかった。だから今パソコンでエッセイを調べてみたら、たくさんあった。あるやんけ、と本屋に突っ込んだ。どうやらその本屋は、エッセイをあまり置いていないらしい。くどうれいんさんの本も、僕が買った2冊しか置いていなかった。まあでも、瀬尾さんを見つけることができてよかった。中学校の先生だったんだ、楽しみだな。

本を読む人の姿って、なんでこんなに美しいのだろうか。シンプルにその人が可愛くて綺麗なだけか。いやでも本読んでる人ってなんだかかっこいいよな。でも目の前にいる人、とんでもなく可愛いな、綺麗だな。チラチラ見ちゃうな。何読んでるんだろ、結構分厚いぞ。あ、別に書かなくてもいいって?

家に帰ってきた。わんこにお昼ご飯をあげて、自分もパスタを茹でて食べている。ペペロンチーノには細麺が合うのだなと、生活に役には立つが他人に言うタイミングがない知識を得る。今はコーヒーを淹れてゆっくりしている。

家にエッセイがあるのはいいものだ。コーヒーの抽出を待っている時も、ちょっと手に取って読み始めることができるから。エッセイだと章が分かれているから、無理に順序通りに読まなくていい。そういう理由もあって、エッセイが好きになった。短編小説でも、読むのに一遍20分ぐらいかかるから、ちょっと苦手。

うちにはおもちゃが転がっている。わんこが遊んで散らかしたものをほったらかしにしているから、いろんなところに落ちている。おもちゃの「ゃ」を大きくしたらお餅屋になるなとか、小学生の頃はそんなことで20分ぐらい笑えていたことを思い出す。なんだかちょっと切なくなる。

そういえば、本屋の帰りに花屋に寄った。一輪挿しを一本家に飾っていたのだが、一本だと満足できなくなって、玄関とベッドにも欲しいなと思い、買おうと思って。選んだのは黄色いマムとピンクのアルストロメリア。花屋さんから聞いた名前を覚えるのに必死だった。多分合っているはずだ。こうやって少しずつ花を買って、名前をなんとなく覚えたいなと思っている。ちょっとおしゃれじゃない?

昨日のラジオで、僕は形から入るタイプなのだという話題になった。確かに、と思ったのと一緒に、なよまるにもそれがバレていたことがわかった。わんこの首輪を最初に五個ぐらい揃えているあたりからバレていたらしい。恥ずかしい。何もかも形から入っていると気づいた。花を部屋の飾ろうと思ったら花瓶を買い、エッセイを読みたいと思ったら30冊ぐらい一気に買う。なんだこの癖は。ちょっと危なっかしいけど、まあ変えることはできないし、これで生きていけているし幸せだからいいとしよう。

僕は日頃から、ちょっとした生活を残したいときに、フィルムカメラを取り出して、シャッターを切る。花を変えた時、わんこが可愛い行動をしている時。なんかいいなと思ったら、ちょっとカメラを持ってきて、ダイヤルを回して設定して撮る。なんだかんだで続いているカメラも、色々と手を出してこんな感じに落ち着いた。このエッセイに載せている写真は、書いている時期に撮っていた写真のお気に入りを載せている。時系列は適当だ。

そうやって日々を残すことが好きなのかもしれない。振り返ることにはあまり興味がなくて、ただ残すことが幸せなんだと思う。刻みたいとか忘れたくないとか、そういう大層なことは考えていなくて、本能的に残したい一心なのだと思う。

暇さえあれば書くか撮るか、みたいな生活。なんだかんだで嫌いではない。もともと僕が望んでいたことなのだろうな。2020年に精神疾患の双極性障害と診断されてから、あまりうまく生きられていない感じがしていたが、最近はこの病気があったからこそ感じられる幸せもあるなと、納得している。

なんとなくの直感で、いつもとは違う14時ぐらいにわんこと散歩に行ったら、奇跡が起きた。いつもお世話になっている小さなカフェに、フィンランドからサンタが来ていた。

僕もサンタに会うのは初めてで、正直びっくりした。とりあえずゆっくりグリーティングをしようと思い、わんこといつもの散歩ルートを散歩して、サンタのもとに舞い戻った。

道中、多分英語なんだろうなと思って、頭の中で「キャンアイ、テイクユアビデオ?」と何度も練習した。最近はこのカフェで海外の方と話すことが多くて、ちょっとずつ英語が話せるようになった。字面で見るとカタコトに見えるが、意外と喋れるんです私。なんてことはどうでもいいか。

いざ会って、僕が一生懸命に英語で話していると、カフェから出てきた常連で顔見知りのお客さんが、「クリスさん、バリバリ日本語いけるから大丈夫だよ。」と言われた。お気づきだろうか、この人は今、夢をふたつ壊したのだ。まず一個はサンタさんの名前を知ってしまったこと、二つ目はフィンランドの純正サンタさんは英語しか話せないだろうという夢。

まあいいやと思い、僕は英語で話し続けた。わんこを抱いてもらい、ビデオを撮ることができた。生後6ヶ月にして、本物のサンタに出会ったわんこ、多分なんもわかっておらず、サンタの髭を舐めていた。ああ、これが小さい子に旅をさせる親の気持ちか、と思った。でも本物のサンタに会えたことは、なんだか嬉しかった。僕も初めてだったから、テンションが上がった。

あと、意外と向上していた英語力にちょっと感動した。

帰ってきてちょっと待つと、待望のエッセイたちが届いた。意外と量があって驚いた。買ったのは自分の癖に。わんこが僕のベッドでおしっこをすることを覚えて、ちょっと萎えているところにそれは届いた。小原晩さんの「これが生活なのかしらん」を一番最初に読もうと思った。小原さんは、「ばん」と打っても出てこないので、「ばんめし」とうって「晩飯」に変換して、「飯」を消す。そうすると、小原晩さんの完成だ(本当にごめんなさい)。

小原さんのこのエッセイに、挿絵が収録されていて可愛いなと思った。早速自分も真似しようとしたが、ちょっと前に小さいスケッチブックを捨ててしまった。しまった、こんなことなら取っておけばよかったと思いながら、何か書けるものを探した。こういう時って、見つからない。そして行き着いたのは、「これが生活なのかしらん」の第一ページを千切るという行為。小原さんごめんなさい、これも生活だということで許してください。あ、それで挿絵はどうなったのかって?ボールペンのインクが出なかったよ。千切ったページは、そっとゴミ箱へ吸い込まれた。