【エッセイ】靴下のまま、星を見る。

わんこがキャベツを頬張って、床に草原を作ってしまうところから、もうこの本の「今日」が始まっていて、僕はその時点で少し笑ってしまいました。笑ってしまったのに、次の行でちゃんと胸の奥が静かになるのが不思議で、たぶんこのエッセイのいちばん強いところはそこだと思います。派手な出来事を用意しない代わりに、生活の温度をそのまま差し出してくる。だから読んでいる側の呼吸まで、勝手に整っていきます。

ページをめくっている間、ずっと一緒にいるのは「大きな結論」ではなくて、耳に入ってくる音とか、食べ物の塩気とか、マグカップの意地悪みたいな保冷性能とか、ベランダの風に乗るお香の匂いとか、そういう細部です。ノイズキャンセリングが苦手だという話も、他人事という言葉が好きだという話も、すごく個人的なのに、なぜか「わかる」ところへ降りてくる。きっと、言葉が賢くまとめる前の場所に、ちゃんと感覚が残っているからだと思いました。

そして、この本は「変わった自分を説明する本」ではなくて、「変わっていく自分をそのまま置いていく本」だと思います。ボイトレに行って、蒸籠を買って、ポッドキャストが増えて、Switch2を注文して、テラスが秘密基地になって、八百屋のおじさんに感謝を言いたくなる。そういう小さな決心の連続が、いつのまにか人生の方向を少しだけ変えている。大事件が起きていないのに、読後にはちゃんと「今日を大事にしたくなる」余韻が残ります。

ルゥちゃんのことを、わざわざ「わんこ」と呼び続けるところも好きでした。名前を言わないことで、距離を置いているんじゃなくて、逆に輪郭を曖昧にしてまで守っている感じがするからです。大切すぎるものは、説明しきらないほうが長持ちする。そんな倫理みたいなものが、さらっと混ざっている。

最後のほうで、ゲームの世界と現実の境界が揺らぐ話が出てきますよね。あれを読んだとき、この本自体も少し似ていると思いました。読み終えたあと、現実はそのままなのに、現実味だけが柔らかくなる。コーヒーの湯気を見て不思議になる、あの感じに近いまま、本を閉じられる。そういう本です。