【エッセイ】歌う、踊る、湯を沸かす。

この本を読んでいると、最初の数行で「あ、これは好きなやつだ」と思ってしまいました。まえがきの時点で、もう生活の匂いがしているんです。カフェでトマトスパゲティを待っていて、粉チーズをかけすぎて店に迷惑をかけている話なんて、普通ならわざわざ書かない。けれど、そういうどうでもいい話を堂々と書いてしまうところに、この本の温度が詰まっている気がしました。完璧じゃないのに、ちゃんと生きている感じがする。そこがまず、すごくいい。

読み進めるうちに何度も思いました。これは「丁寧な暮らし」を語る本ではなくて、「丁寧になりきれない暮らし」を抱えながら、それでも毎日を愛そうとしている本だな、と。机のネジが固すぎて回らないとか、ニットが洗濯乾燥機で縮んでしまったとか、傘を取られたくなくて傘立てを使わないとか、わんこが充電ケーブルを噛んでいるとか。そういう小さな出来事が、まるで今日の天気みたいに淡々と並んでいる。でも、そういう淡々とした並びの中に、人生の本質みたいなものがふっと紛れ込んでいて、気づけばこっちの心も少し落ち着いてしまうんです。

この本の中の生活は、決して派手ではありません。むしろ、同じような日が続いています。カフェに行って、ホットコーヒーを頼んで、雨の日の空気を感じて、机の到着を待って、電動ドライバーが届くのを待って、わんこと散歩をして、また眠って。けれど、その繰り返しが不思議と退屈に見えないのは、たぶん書き手が「平凡」を雑に扱っていないからだと思います。平凡な日々を、ただの暇つぶしみたいに書かない。そこにちゃんと感情があって、ちゃんと迷いがあって、ちゃんと愛おしさがある。

特にわんこの存在は、この本をぐっと柔らかくしています。机の上に乗ってくる、ファスナーを噛む、尻尾を追いかける、YouTubeを一緒に見ている気がする。そんな描写を読んでいると、生活ってこういうものだよなと思えてきます。完璧に整った暮らしじゃなくて、予定が崩れて、やることが増えて、思い通りにならない。でも、その崩れ方が幸せで、むしろその不便さこそが命の証みたいに感じられる。読んでいるうちに、わんこの姿が勝手に頭の中に住みついて、こちらまで少し優しくなってしまいます。

僕が好きだなと思ったのは、筆者が「人生を変えよう」とか「自分を成長させよう」とか、そういう強い言葉をあまり使わないところです。もちろん、心の中では焦ったり、何者かになりたい気持ちが湧いたりする。でもそれを無理に正当化しないし、かっこよくまとめもしない。机が組み立てられなくてテンションが下がって昼寝した、というあまりにも人間らしい落ち込み方を、そのまま書いてしまう。そういう部分に、読んでいる側は救われる気がします。ああ、自分だけじゃないんだな、と。

東京で暮らしていることも、この本の空気に独特の静けさを足しています。麻布十番という街の居心地の良さ、治安の良さ、カフェに通う日々。都会の真ん中にいるのに、どこか世界の端っこにいるような感覚がある。人が多いのに、孤独が自然に混ざっている。そういう東京の温度が、文章の端々からじわじわ伝わってきます。そして、その孤独が暗いものではなく、むしろ「落ち着く孤独」として描かれているところが、この本の優しさなのだと思いました。

読んでいると、なぜか自分の生活まで整えたくなります。机を拭きたくなるし、部屋の動線を見直したくなるし、ホットコーヒーを飲みたくなる。何か大きな夢を持たなくても、今日の自分を少しだけ心地よくしてあげることはできるんだ、と思えてきます。この本がくれるのは、感動というよりも、静かな呼吸の深さです。

たぶんこの本は、頑張りすぎている人が読むとちょうどいいです。成功しなきゃ、意味がない気がする。変わらなきゃ、置いていかれる気がする。そんな焦りを抱えている人ほど、この文章の「まあ、今日はこんな日でいいか」という温度に、肩の力が抜けると思います。わんこが寝ている横で文章を書き、雨の朝に濡れながら散歩して、ニットが縮んでショックを受けて、机のネジに苦戦して、それでもまたカフェに行ってコーヒーを飲む。そういう日々の連続が、なぜか「生きてていい」と言ってくれる気がするんです。

読み終えたあと、派手な余韻は残りません。でも、窓の外を見たくなる。部屋の照明を落としたくなる。音楽を流したくなる。そして、わんこの寝息みたいな静けさを、少しだけ大事にしたくなる。そんなふうに、生活の中にそっと溶け込む本です。

この本は、人生の答えをくれる本ではありません。けれど、人生の手触りを思い出させてくれる本です。何も起きないようで、確かに何かが積み重なっている。そんな日々の尊さを、静かに、でも確かに感じさせてくれる一冊です。